三国雑談スレ ◆奥の方のテーブル◆
56:2002/10/27(日) 23:36AAS

玉川雄一[関東] 投稿日:2001年09月01日 (土) 09時15分48秒 

昨日、BS三国演義(再放送)を見ておりました。第71回、「孔明、泣いて馬謖を斬る」の回。
馬謖と王平が街亭に到着したところから始まるのですが、何かが取り憑いたかのように豹変し、意固地に山上への布陣を主張してやまない馬謖。
王平に主張するところ、「山上に布陣すれば、敵に囲まれようとも攻め下るのみ。竹を破るが如くに蹴散らしてみせる!」(意訳)…はい?
省8
57:2002/10/27(日) 23:37AAS


義侠の雷鳴[九州] > (2001/09/01(Sat) 13:55:38)

あ、発言しつれいいたします。ワタクシもアレ見ました
馬謖のいう高い所に布陣、山があるなら街道に布陣するか!、つーのはあるていどは理屈がとおっているかと思いますがワタシもやはり間違ってたから大敗したとは思います
省10
58:2002/10/27(日) 23:37AAS

玉川雄一[関東] > (2001/09/01(Sat) 17:53:09)

義侠の雷鳴さん、ありがとうございます。
レスしてくださった内容に関しては私も全く同意見ですが、私の親記事の書き方が少々甘うございました。
私がツッコみたかったのは、「何で馬謖が『破竹の勢い』って言葉を使っているのだ!」という所だったのです。あれって確か、晋が呉を滅ぼしたときの、杜預の言葉だったのでは?
省10
59:2002/10/27(日) 23:38AAS

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/09/01(Sat) 21:28:28)

む〜! 馬謖が山上に陣取らなくて、張コウが山上に陣取ったとして。
馬謖は水の手なんか気づかないだろうから、やはり高所を占めた張コウが優位に戦闘を進め、結果として馬謖隊全滅、ってこともありえたり…。
で、ええと、破竹の勢いですよね〜! 晋将杜預の名ぜりふとして有名ですが、実は「竹を割るより易し」という表現、結構まえから使われていた慣用表現だったかもしれません。
省11
60:2002/10/27(日) 23:38AAS

義侠の雷鳴[九州] > (2001/09/02(Sun) 05:36:29)

それよりぐっこさん、西川戦の時の初代魏淵VS二代目魏淵凄かったすよ。報告しそこなったけど、ビビリました。今の魏淵は初代の方すかね。ちなみにアタシ魏淵大好きです。

人形劇では地味に大活躍、BS三国志では孔明とイマイチそりがあわないため、むしろ過労死したいのは魏淵の方っじゃねーか?と思いました
61:2002/10/27(日) 23:39AAS

玉川雄一[関東] > (2001/09/02(Sun) 09:00:01)

■破竹の勢い
なるほど、ニュアンスとしては以前からあったかもしれないのですね。

省8
62:2002/10/27(日) 23:40AAS

MOS[外国] > (2001/09/02(Sun) 09:01:54)

>まさに斬られるべくして斬られるというお膳立て
あれは馬謖の逃亡が原因でしょうねぇ(笑)
某所でも書いた事ありますが、一度負けて斬られるなら、
省14
63:2002/10/27(日) 23:40AAS

ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/09/02(Sun) 23:40:14)

 >義侠の雷鳴様
ええと、確か最初張任役の人がいつのまにか魏延役をやってるんでしたよね(;^_^A だからラク城の戦いは初代と二代目魏延の戦いになる、というワケで。過労死したのは魏延……確かに、下にいるぶん孔明よりも軍務の疲労心労は激しかったでしょう。実質上の前線責任者なわけですし。最後の暴発は、文字通りどかーん、だったんですね(;^_^A

省12
64:2002/10/27(日) 23:40AAS

義侠の雷鳴[九州] > (2001/09/03(Mon) 04:02:44)

実はワタシもショッカーでして。特に「魏から逃亡してきたり降ってきた奴らにおんぶにだっこ」なトコとか、逆に魏にいっちゃう人がいるとことか好きです。

ちなみに魯粛も「顔が変形しすぎて」番組中盤まで「魯粛と気がつかない」こと多々でした。
65:2002/10/29(火) 22:39AAS

玉川雄一   
「でゅふふふふ〜♪ 晋書が届きました!
最初、ゆうパックあまりのコンパクトさに注文間違いか?
と危ぶみましたが、大学図書館のとは装幀が違っていたのでした。
なんか、学校で出す文集とかみたいです。
省9
1-AA