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三国雑談スレ ◆奥の方のテーブル◆
172: 2002/11/02(土) 15:49 左平(仮名) 小説、拝見しました。 行政官としても優秀な魏延、十分に才能「は」あった孟達、『異才』司馬懿…読み応えあります。これでまだ半分もないとは…。 でも、印象深いのは、張コウ(合+β)・儁乂です。そういえば、官渡の頃に曹操の配下になったわけだから、この当時六十は過ぎていて「老将」とみなされても何の不思議もないんですよね。何故かそういうイメ−ジがなくって…(蜀の五虎将軍【黄忠を除く】も魏の五将軍も、何故か老将というイメ−ジが沸かないんですよね。ゲ−ムでは固定グラフィックだから?)。 蛇足:私事ですが。五月にあっくんさんのサイトにて始めた第二弾、まだ「三国志」がらみの話に入れません(次回あたりからは入りますが)。予想以上にあれこれ詰め込んだもので。当初は七〜十回程度にするつもりだったのですが、どうやら二十回くらいになりそうです…。どなたかレスつけて下さい…(あっくんさんが忙しいとの事なので、なかなかレスがつかない状態です).
173: 2002/11/02(土) 15:49 ぐっこ 2002年07月28日日曜日 23時35分 イエイエ〜。今見ればアラだらけですが…ただ、自分で言うのもなんですが、時々上手い表現があるなあ、と(^_^;) 蒼天人物事典とか、南蛮王とか、学三とかで使う人物評も、幾つかこの小説から出てたりしてます。わりとコアです、ぐっこの。 でもあの頃は痛い正史オタだった… 北伐のあたりだと、それこそ世代交代が進んでるわけですが、旧世代の人間がまだまだ偉大だと言うことを表現したくて、つい張コウをビュコックにしてしまいました… [竹乍]融伝! すみませぬ! ここのところ自分ところのレス付けに必死でした(^_^;) あっくん様のサイトに急げ! 途中経過でハァハァしてる場合ではなかった!
174: 2002/11/02(土) 15:50 惟新 2002年07月29日月曜日 11時53分 早速私も拝見! とても面白いです〜 何より筆がいい! これが大昔の作品とは…うらやましい限りです。 皆さまの筆力を拝見するたび、己の非力さを実感します。 文学と縁遠い身とはいえ、国語教師を目指す以上は少しは磨かねば。 >張[合β] そうなんですよ〜 私は登場シーンで「老将…誰?」と一瞬思い「張[合β]かな…でも老将って感じがしない…」とぶつくさやってたクチだったりします。 言われてみれば確かに老将なんですよね。何となくいつまでも壮年のイメージが強いんですが。 あ、でもここ一年でナルシストのイメージも(爆
175: 2002/11/02(土) 15:50 ぐっこ 2002年07月30日火曜日 22時23分 うーん、張[合β]はBS三國志でも壮年のままでしたからねえ… 実際のところ、韓馥の下で部将をやっていたということで、劉備と同年代か、下手するとそれ以上という高齢部将なわけで…。 おそらく魏の5将軍のなかでは最年長かと。 最近のナルシーっぷりはアレですが、蒼天にもまだ登場しないあたり、ビジュアル化の難しいキャラではあります(^_^;) どうも決め手となる外観的特徴が無いんですよねえ…
176: 2002/11/02(土) 15:51 左平(仮名) ◎情報募集 教えて下さい◎ ふと、魏の博士・馬鈞の事が気になったのですが、現在私はちくまの「正史 三国志」(文庫本)の4巻を持っておりませんので、詳しい事が分かりません。 彼の生年・出身地・両親の名など、詳しい情報が4巻にあるのでしたら、是非教えて下さい。 お願いします。
177: 2002/11/02(土) 15:51 もす 2002年07月30日火曜日 06時54分 "ちくま"4巻にも彼の素性は詳しく書かれていません。 「扶風郡の馬鈞」、「字は徳衡」と。是非とも県名も書いて欲しいのですが…(笑) 手先が器用だったようですが、言葉は巧くなかったらしいです。 事例は色々あるのですが、長いので省略して。 傅玄に評され、高堂隆や秦朗と論争をしたとあります。(^^) 他にも裴秀や曹羲など……
178: 2002/11/02(土) 15:51 左平(仮名) 2002年07月30日火曜日 22時25分 もすさん、ありがとうございます。 なるほど、扶風郡の人、ですか…。事例からすると、寡黙な技術者ってところですね。ちょっとしたネタに使えるかな…。
179: 2002/11/02(土) 15:52 ぐっこ 2002年07月30日火曜日 22時43分 うーん、馬鈞は有名な割には事績が…伝わってはいるんですが(^_^;)、肝心の本人の素性がハッキリしてないみたいですねー。 今ざっとぐーぐる見てみたのですが、NOBさまの逸聞三國志によると、「資治通鑑にちょっとだけ出てた」とのこと。逆に言えば、ほかの史書ではほとんど名が見えないということ。 本人は青史から消えてなくなれど、作品と小話だけが残る…技術者の見本みたいな人物かも。 でも、民間伝承とか残ってるっぽいですが…
180: 2002/11/02(土) 15:52 もす 2002年07月31日水曜日 11時45分 補足ではありますが、 扶風郡の馬氏っていうと、馬日[石單]や馬騰を思い出しちゃうんですよねぇ。(^^ゞ 私の馬超伝にも書いたんですが… ともあれ、県名が書かれてないのが恨めしい。。(笑) おぉ、確かに『資治通鑑』に出てますね♪ 「使博士扶風馬鈞作司南車」 ほんとにチョット…(爆)
181: 2002/11/02(土) 15:52 ぐっこ 2002年08月01日木曜日 22時57分 あ、言われてみれば確かに。馬氏は扶風の大姓のようですから、実際かなり多くの馬氏が同郡でハバをきかしてたようですが… 広い目で見れば、みんな馬援系なんでしょうか(^_^;)
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