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三国雑談スレ ◆奥の方のテーブル◆
212:左平(仮名) 2003/02/17(月) 22:48 210の補足をば。 平セ【生+丸+力】氏の説が衝撃的だというのには、幾つかのポイントがあるんです。 1,称元法(○○王の◇◇年という言い方)の違い 「史記」の、戦国時代の年代表示には多くの誤差がある(三割近くという)。その多くは、称元法の誤解によって生じたものである。 戦国時代の「ある時期(=諸国の君主が王と称する様になった頃)」に始まったやり方を、太古の昔からやっていたかの様に書いた為に、この様なずれが生じたのである。 太古からのやり方は「立年称元法(例:昭和→平成)」であったが、この頃から「踰年称元法(帝王の死後、次の帝王は、年が明けてから正式に即位する)」が始まった。 ↓(暦年のズレ等の検証により、新たな称元法の開始時期を特定) 2,各国で暦が異なる 春秋時代の暦は、まだごく簡単な「観象授時暦」であった。その為、各国で正月が異なる。 ↓(「春秋」などの暦の記載と一致する暦を用いる国は…) 3,「春秋」とその伝の成立時期がほぼ同じ 通説では、「春秋」は孔子によって(またはその死後間もない頃に門人達によって)書かれた、そして、三つの「伝」は、その意味が分からなくなった後世の作とみなされていたが、実は戦国時代後期(諸国の君主が王と称する様になった頃)に、「春秋」と「伝」がセットで書かれたのではないか。 以上の結果、 「竹書紀年」 →○国の王の正当性を主張 「春秋」「公羊伝」→○国の王の正当性を否定すると共に●国の王の正当性を主張 「春秋」「左氏伝」→●国の王の正当性を否定すると共に◎国の王の正当性を主張 「春秋」「穀梁伝」→◇国の王の正当性を主張 (○、●、◎、◇国は、それぞれ個別に名が特定されていますが、ここまで言うと完全にネタバレなので、ぜひ一読してください) となる。 …正直言って、概要は分かったつもりになれましたが、詳細については、今もよく分からないままです。暦の計算などが出てくると、数学の公式を見ている様で、理解不能。 王の正当性を立証する為、という意図は理解できても、なぜ、かくも隠微な表示にする(ほんまに、「ほのめかす」という感じ)のか、というところにも若干の戸惑いがあります。しかし、強烈です。
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