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三国雑談スレ ◆奥の方のテーブル◆
235:左平(仮名) 2003/08/18(月) 01:58 まず、三国志全人名事典に出てくる「梁」姓は、(異民族も含めて)19人です(梁興込み)。 このうち、(光武二十八将ではありませんが)後漢功臣といえる梁統の子孫という可能性のある、安定及びその近くの人となると…。 1,梁寛 安定の人。楊阜らと共に馬超と戦っています。時期的には梁興と一致。この二人が実は同族だった、なんて設定にしたら、なかなか劇的ですね。 2,梁元碧 涼州・休屠胡の首領。梁というのが姓だったりすると、胡化した漢人というドラマ性があります。ただし、この人については、郭淮の伝に記載があり、梁興と時期がずれます。このあたりをどうみるか。 3,梁虔 魏の天水郡主記→蜀。ただし、姜維とともに…という事で時期がずれます。 4,梁鵠 安定の人。劉表→曹操という経歴がありますから、時期的には梁興と一致。ただ、曹操に重用されていた様ですから、梁興とはつながりにくいです。第一、こちらは文官。 5,梁習 蒼天にもその名が出た、名刺史。時代的にも一致。ただ、陳郡の人とありますから梁興との関係はちょっと考えられません。彼と梁興が同族だったりすれば、小説的には物凄く絵になる展開なのですが…。 6,梁施 梁習の子。 7,梁緒 魏の天水郡功曹→蜀。何か、梁虔にそっくり。 8,梁双 天水の人。馬超と戦った趙昂の妻・王異の話に出てくるのですが…どうも時期が合いません。 梁統の子孫が、あの跋扈将軍・梁冀。彼の死後、その一族は族滅された…となっています。しかし、梁統から梁冀までは間がありますし、辺境にいた傍系の一族は逃れ得たという事も考えられます。 と、なると…。 以上の点から、乏しい頭を使って妄想しますと、こんな感じでしょうか。 梁冀が都で権勢を振るう中、傍系の梁某は辺境にあった。才徳なくして権力の座にある事に、言い様のない不安を抱いていたからである。彼は、つとめて自らを貶め、庶民と交わっていた。 やがて、梁冀は滅ぶ。彼は官憲の追っ手を逃れ、羌族の集落に入った。そして、その子孫はいくつかの系統に分かれていき、それぞれの道を歩む事となる。 ある者は、ほとぼりの冷めるのを待って漢朝に仕官し、またある者は羌族とともに漢朝に叛旗を翻す。 そして…。皮肉にも、一族はあい戦う事になる(梁寛と梁興)。 梁興は懸命に戦うも、武運拙く敗れ、自身は戦死する。しかし、その忘れ形見は母に連れられて西方に逃れ、いつしか胡の長となる(梁元碧)。 魏に帰順した時、彼は何を思ったであろうか。 なんて、どんなもんでしょうか。
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