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三国雑談スレ ◆奥の方のテーブル◆
50: 2002/10/27(日) 01:06 香香[東海] > (2001/05/10(Thu) 21:48:01) ↑まさにそこから引っ張ってきました(~_~;) ただ、私も漢文を読む際は「チャート式漢文」と「漢和辞典」に頼りきりなのでなんとも・・・・。すみませぬ・・・・。一応、当サイトでも陳寔先生はコンテンツで取り上げてます。「天上君子」の典故として(爆)
51: 2002/10/27(日) 01:06 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/05/12(Sat) 00:27:41) 私も「漢文重要語句辞典」の付録の文法集がなければ読解なんぞとてもとても(^^ゞ でも、知り合いの中国娘(四川省)に翻訳頼んだら、「こんなクソ難しい古典読めるわけないでしょ!」と怒られました。な〜んだ。 陳寔、読めば読むほど深い人物だった様で〜。同列伝中の荀淑や鍾晧ら「有名人のおじいさん」シリーズも、読み進めば面白いのでしょうが、漢文の羅列を見てると「まあ必要になったら読むか」と腰が引けてしまうよ〜な。
52: 2002/10/27(日) 23:22 義侠の雷鳴[北海道] 投稿日:2001年08月25日 (土) 07時05分58秒 このほど懲罰房よりでてきました義侠の雷鳴です。 BS三国志の木鹿大王編の頼んでいたビデオテープを先日入手しました。悪名高いNHKの「その時歴史が動いた」でユキちゃんも微妙に動いてましたね。あと「数カット吼えるだけ専用虎」もでましたね。オレはユキちゃんを松平さんがどう評するか楽しみでアレみてしまいましたよ。
53: 2002/10/27(日) 23:22 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/25(Sat) 23:40:39) おお、お久しぶりです、義侠の雷鳴様! 「その時歴史は動いた」さすがに炎上するユキちゃんはハズしてましたね〜。 BS三国志見慣れてない人にとって、あのユキちゃんたちはインパクトある映像だったでしょう…。
54: 2002/10/27(日) 23:22 義侠の雷鳴[北海道] > (2001/08/27(Mon) 03:10:10) もぅ何度となくビデオ見返しております。
55: 2002/10/27(日) 23:22 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/08/27(Mon) 23:48:23) 私的には、孔明謹製の木牛流馬を写して欲しかったです。工事用の一輪車とかいわずに。 ついでに司馬懿が喜んでいるアレを放映すればなおよかったのに…。
56: 2002/10/27(日) 23:36 玉川雄一[関東] 投稿日:2001年09月01日 (土) 09時15分48秒 昨日、BS三国演義(再放送)を見ておりました。第71回、「孔明、泣いて馬謖を斬る」の回。 馬謖と王平が街亭に到着したところから始まるのですが、何かが取り憑いたかのように豹変し、意固地に山上への布陣を主張してやまない馬謖。 王平に主張するところ、「山上に布陣すれば、敵に囲まれようとも攻め下るのみ。竹を破るが如くに蹴散らしてみせる!」(意訳)…はい? なおも食い下がる王平に、「貴公は臨機応変という言葉をご存じないようだ。丞相はこの山があることをご存じなかったからこそ、街道上に布陣せよと仰せになったのだ。山上に布陣し、麓の敵には一気に攻め下れば破竹の勢いで…」(意訳)…ってオイ!自分、何他人の言葉パクっとるねんな!アンタの学んだ兵法にはそないな言葉まで載っとったんかい! まったく、こんな怪しげな知識に頼るから負けるんだっての。「通信教育で習った中国拳法」(byハンチョリーナ田畑)並に役立たずですな。
57: 2002/10/27(日) 23:37 義侠の雷鳴[九州] > (2001/09/01(Sat) 13:55:38) あ、発言しつれいいたします。ワタクシもアレ見ました 馬謖のいう高い所に布陣、山があるなら街道に布陣するか!、つーのはあるていどは理屈がとおっているかと思いますがワタシもやはり間違ってたから大敗したとは思います アレ、水源がない小山に陣を構えるというのは、自ら水源が立たれた小城に篭城するのと同じという事でしょ? 学がないけど経験豊富な王平は逆に山を壁にみたてたから、街道に布陣する丞相の策をとったと思いまふ
58: 2002/10/27(日) 23:37 玉川雄一[関東] > (2001/09/01(Sat) 17:53:09) 義侠の雷鳴さん、ありがとうございます。 レスしてくださった内容に関しては私も全く同意見ですが、私の親記事の書き方が少々甘うございました。 私がツッコみたかったのは、「何で馬謖が『破竹の勢い』って言葉を使っているのだ!」という所だったのです。あれって確か、晋が呉を滅ぼしたときの、杜預の言葉だったのでは? 馬謖の学んだ兵法は、時代を先取りしていたのでしょうか。どうせなら、自分の失敗もしっかり学んでおけば良かったのに(^_^)というお話でした。 さて馬謖。あのドラマでは、まさに斬られるべくして斬られるというお膳立てがやけに念入りでしたねえ。あの豹変ぶりはいささか無理があるようにも感じられましたが。やはり物を言うのは実地の経験、熟達者の言葉には耳を傾けなければならない、という教訓でしょうか? この街亭のエピソード、正史の王平伝にはほぼその通り載っていますから、やはり事実だったようですね。馬謖があそこまでゴリ押しして先鋒になったのかは不明ですが。
59: 2002/10/27(日) 23:38 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/09/01(Sat) 21:28:28) む〜! 馬謖が山上に陣取らなくて、張コウが山上に陣取ったとして。 馬謖は水の手なんか気づかないだろうから、やはり高所を占めた張コウが優位に戦闘を進め、結果として馬謖隊全滅、ってこともありえたり…。 で、ええと、破竹の勢いですよね〜! 晋将杜預の名ぜりふとして有名ですが、実は「竹を割るより易し」という表現、結構まえから使われていた慣用表現だったかもしれません。 うろ覚えですが、確か春秋あたりに似たような表現があって「おんや?」と思った記憶が。 あ、そういえばBS三国志、もう「魏延の孤独」をやってる頃でしょうか? 諸将が次々と命を受けて天幕から出てゆくのに、魏延だけは最後までシカトされて、たったひとり無人の天幕に残されるという…。 あのシーンを見て、これ以上はないと言うほど演義孔明嫌いになりました、私(;^_^A
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