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三国雑談スレ ◆奥の方のテーブル◆
85: 2002/10/30(水) 23:38 左平(仮名) 2001年11月26日月曜日 00時00分 、、、すみません、ちょっともったいつけてしまった様で、、。私が住んでいるのは、広島県福山市(その市内のどこか、まではご勘弁を)です。 福山城(確か鉄覆山久松城ともいった様な)の天守閣は昭和20年に空襲で焼けましたが、それ以前は北側に(大砲の弾に対応すべく)鉄板を貼っていたと聞いた事があります。天守閣は福山駅の新幹線ホ−ムからよく見えます。駅と城との距離がとても近いです(駅の北口を出ると、道路一本隔てて、すぐ目の前に城の石垣があります)。 ちなみに、福山藩の祖は水野勝成(みずのかつなり)といい、徳川家康の親戚にあたります。彼は、猛将として知られ、「鬼日向(おにひゅうが:日向守であった事からこう呼ばれた)」と恐れられたとか。
86: 2002/10/30(水) 23:38 玉川雄一 2001年11月26日月曜日 01時29分 福山にお住まいでいらっしゃいますか! 水野勝成、家康の従兄弟でしたっけ。(何故か)好きなんです。 ハランバンジョーの人生を送っていますよね。 ちなみに私は千葉の市原です。ですから厳密には許チョではないんですよね。 この辺は戦国時代にはちんまい勢力の支配地域で、また大藩はなかったようです。お城も残ってやしません。 ですが、お隣の大多喜には本多忠勝がいたことがあります。その後伊勢の桑名に移ってしまいましたが(^_^;) そこには「十万石饅頭」という凄いんだか凄くないんだか微妙な(笑)銘菓があるそうです。
87: 2002/10/30(水) 23:43 左平(仮名) 2001年11月26日月曜日 20時53分 >玉川さん 水野勝成卿の事をご存知でしたか。実は、福山藩も石高十万石なんですよ〜。 水野氏ときて、ふっと思い出したのですが、関東(徳川氏の勢力圏)=魏ってな感じになっている、という事は、、。福山=魏の誰かって事になりそうです(広島−浅野氏、岡山−池田氏、山口−毛利氏、徳島−蜂須賀氏、高知−山内氏など、周囲は全て外様という中、福山は常に譜代の家が封ぜられています)。 猛将・水野勝成が祖となれば、さしずめ曹仁あたりでしょうか(って、ちょっと地元びいきかな、、)。
88: 2002/10/30(水) 23:43 ぐっこ 2001年11月26日月曜日 23時03分 うを!いつのまにか戦国スレッドに( ̄□ ̄;) う〜、私の家の近所…ではないけど、わりと近くに秀吉ゆかりの史跡がチラホラ…。 どうもあのスレッドは戦国とかじゃなく、純粋な土地柄フィーリングですので、徳川に拘る必要も…(;^_^A ただ、みんな飽きてしまったのか、スレッド自体が間もなく倉庫入りしそうです…。
89: 2002/10/30(水) 23:43 松竹梅 2001年11月27日火曜日 05時04分 >玉川さん 「十万石」ってホテルがあるの、大多喜でしたっけ? 房総半島に旅行に行ったとき、そのホテルのパンフ見て 「十分の一なのかよ」と三村突っ込みしてました。 ほら、加賀に百万石ってホテルがあるじゃないですか…
90: 2002/10/30(水) 23:44 左平(仮名) 2001年11月29日木曜日 22時34分 >加賀に百万石ってホテルが〜 初任者研修(もう採用から約一年経ってるっちゅうのに、、)の帰り、広島市内を歩いていると、「百万石」という焼肉屋が。すぐ通り過ぎたのでよく見ていないのですが、確かそういう看板でした。 何か関係があるのでしょうか(ちなみに、広島藩は約40万石なので、地元資本とは考えにくいです)。
91: 2002/10/30(水) 23:44 中根東竜 どうもこんばんは。ご無沙汰してます。 ちょっと前にここで評判になった『新唐書』宰相姓系表ですが、 『三国志』に関連する部分をウチのサイトで日本語訳し始めました。 今んとこは姜氏・賈氏・関氏・曹氏の系図を訳したところです。 (賈氏は以上に長いのでまだ半分もやっていない) 上のURLから飛べますので、まあお暇なときでも見て下さいな。 なにか宣伝で終わるのも何なので、レスもして帰ります。 >ぐっこさん 三国志研究要覧に挙がっている論文すべてに目を通された 学者さんはいたら凄いと思いますよ(^^;) 普通の学者が読まない道教の論文まで網羅してますから、アレ。 尚、僕が読んだのは廬弼『三国志集解』に収録される以前の、 元になった学者の注釈です。でも今考えてみると銭大キン先生の 書いた有名な注、(の序文。弟の書いた『三国志弁疑』の序) 「魏の人は呉と蜀があるのを知らなかった」という部分、 きちんと読めていませんでした。最近になって勘違いに気づいたり しているので、まだまだです。 まあこういうのも、歴代の裴注以外の主要な注は高島俊男氏の 『三国志きらめく群像』(ちくま文庫)で訳されているので、 まあそれを見ればある程度済む話なんですけどね・・ 銭先生の文も、この本に訳があります。
92: 2002/10/30(水) 23:45 ぐっこ 2001年11月25日日曜日 21時44分 拝見いたしました!! 黒竜様が「新唐書」から掘り起こしてこられた、微妙にうさんくさい宰相家系図の詳細解説ですね〜(;^_^A まずは翻訳ご苦労様ですm(__)m 私はソースが日本のものばかりですので、本格中国史のサイトを見るとひたすら感心するばかり…。 なるほど唐代では、正史三國志を見ることが無かったんですね…。だからああいううさんくさい家系図が量産されると…。もっとも正史を見ないであれだけ作れるのだから、案外本物も混ざってるかも…。珠玉混合の世界ですなあ〜(;^_^A >三國志研究要覧 たしかに各ジャンルでそろってますから、かなり派手なファール論文もヒットしてるのでしょう(;^_^A 学術論文は存在も所在も分りづらいですから、ああいう一覧があると「凄いなあ」と思います。 あ、その「三国志きらめく群像」、まだ持ってません! そうだ、何か買わなきゃと思ってたの、それだったんだ(;^_^A 三國志集解が手に入らない今、「注釈書としては現在望みうる最高の文献」と銘打たれる(?)同書を買わない手はない!
93: 2002/10/30(水) 23:45 松竹梅 2001年11月26日月曜日 07時43分 中根さん、はじめまして(かな?) 今ページを拝見させていただきました。 唐代においてあまり正史が読まれていないことを聞いてビックリしました。南北朝時代の人は董卓の悪行も劉備が壇渓を越えたエピソードも知ってた(『洛陽伽藍記』より)はずなんだけどなぁ…と思いをめぐらせて見たり。 >道教の論文 今では改善しつつあるようですが、 史学者の中で、道教の研究を意識的に避けるような風潮があったとか。 最近では道教研究もずいぶんメジャーになり、そういうのも薄れたようですが。 >「三国志きらめく群像」 えらい詳しい本ですよね、あれ。 三国迷なら一冊持っていて惜しくない本です。 ただなんというか、あれだけ詳しい事を書いていらっしゃるのに、高島先生ったら州刺史と州牧の区別がついてなかったりとお茶目です。 文庫版出版の際に誰か指摘してあげなかったんでしょうか
94: 2002/10/30(水) 23:45 左平(仮名) 2001年11月26日月曜日 21時05分 三国志からだいぶそれてしまいますが、、思いがけず、先生方の誤記(誤植?)を発見してしまいました。ちくまの「正史 三国志 7」の240ぺ−ジ(張温伝)に、趙文子(趙武)が屈建にむかって随会(=士会)を賞賛した、というくだりがあるのですが、そこの記述が、随会(范文子)となっているのです。「韓非子」では、范文子となっているのは子の士燮で、士会は范武子です。 宮城谷作品を知らない人には、士会はマイナ−かも知れませんが、これはちょっと、、。
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