下
三国雑談スレ ◆奥の方のテーブル◆
89:2002/10/30(水) 23:43
松竹梅 2001年11月27日火曜日 05時04分
>玉川さん
「十万石」ってホテルがあるの、大多喜でしたっけ?
省9
90:2002/10/30(水) 23:44
左平(仮名) 2001年11月29日木曜日 22時34分
>加賀に百万石ってホテルが〜
初任者研修(もう採用から約一年経ってるっちゅうのに、、)の帰り、広島市内を歩いていると、「百万石」という焼肉屋が。すぐ通り過ぎたのでよく見ていないのですが、確かそういう看板でした。
何か関係があるのでしょうか(ちなみに、広島藩は約40万石なので、地元資本とは考えにくいです)。
91:2002/10/30(水) 23:44
中根東竜
どうもこんばんは。ご無沙汰してます。
ちょっと前にここで評判になった『新唐書』宰相姓系表ですが、
『三国志』に関連する部分をウチのサイトで日本語訳し始めました。
省28
92:2002/10/30(水) 23:45
ぐっこ 2001年11月25日日曜日 21時44分
拝見いたしました!!
黒竜様が「新唐書」から掘り起こしてこられた、微妙にうさんくさい宰相家系図の詳細解説ですね〜(;^_^A
まずは翻訳ご苦労様ですm(__)m 私はソースが日本のものばかりですので、本格中国史のサイトを見るとひたすら感心するばかり…。
省12
93:2002/10/30(水) 23:45
松竹梅 2001年11月26日月曜日 07時43分
中根さん、はじめまして(かな?)
今ページを拝見させていただきました。
唐代においてあまり正史が読まれていないことを聞いてビックリしました。南北朝時代の人は董卓の悪行も劉備が壇渓を越えたエピソードも知ってた(『洛陽伽藍記』より)はずなんだけどなぁ…と思いをめぐらせて見たり。
省17
94:2002/10/30(水) 23:45
左平(仮名) 2001年11月26日月曜日 21時05分
三国志からだいぶそれてしまいますが、、思いがけず、先生方の誤記(誤植?)を発見してしまいました。ちくまの「正史 三国志 7」の240ぺ−ジ(張温伝)に、趙文子(趙武)が屈建にむかって随会(=士会)を賞賛した、というくだりがあるのですが、そこの記述が、随会(范文子)となっているのです。「韓非子」では、范文子となっているのは子の士燮で、士会は范武子です。
宮城谷作品を知らない人には、士会はマイナ−かも知れませんが、これはちょっと、、。
95:2002/10/30(水) 23:46
ぐっこ 2001年11月26日月曜日 23時08分
>道教の研究
なるほど〜…やっぱりそういう風潮はありましたか〜。じつは「古代中国の性」とかいう本が手元にあるんですけど、これを書かれたのはイギリスの方。中国では御法度だったとか…。
だたしこの方、誤訳というか勘違い多いです(;^_^A やっぱり漢字はキツイか…。
省10
96:2002/10/30(水) 23:47
黒竜 2001年11月27日火曜日 00時15分
筑摩正史は索引も油断なりませんしね。
ときどき同名異人を一人の人物として扱ってたりしますから…
省9
97:2002/10/30(水) 23:47
ぐっこ 2001年11月27日火曜日 22時43分
↑張超はその最たる例でしたね〜(;^_^A
いつまでもちくまマンセーとばかり言ってられない、というところなんでしょうけど、現実問題として完訳を出されてるのはちくまさんだけだから、読者の方が気を付けて読まなければ、というところでしょうか〜。
省12
98:2002/10/30(水) 23:47
松竹梅 2001年11月27日火曜日 23時36分
とりあえず、ちくまの誤植問題については、
どこかのサイトで正誤表を作ったほうがいいかもしれないですね
(うちでもいいんだけど、集客力を考えると…)
省8
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