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三国雑談スレ ◆奥の方のテーブル◆
249:左平(仮名) 2003/10/26(日) 23:38 それにしても、ここのところ\withPKで抜擢武将つくりにはまりこんでいて、「牛氏」が進みません。 ネタの余裕が、もう二、三回分程度しかないので、このままでは週一ぺ−スが危ういです。
250:★ぐっこ 2003/10/28(火) 00:24 >繁字体 あー。ちょくちょくありますねえ、検索の時に。前も応劭を應劭と 検索したらバカスカヒットしたことありますねえ… >IXPK …あっ!忘れてた!いかん、一つのことに熱中したら、完全に忘れるんですねえ…(^_^;) さて、Xを待つか、潔く南蛮王を再開するか… >牛氏 うい。ここまでの長期連載となると、義務感に囚われたら負けです! のんびりと書きたいときに書かれるよろし。
251:★玉川雄一 2004/01/11(日) 23:37 何の脈絡もなくふと思ったんですけど。 呂布の賜った「温侯」の“温”って、司馬懿とかの本籍である河内郡の温のことなんでしょうか。 こういう爵位名って、基本的に『封地+爵位』って解釈でいいんですよね? 名目だけで実際には支配領有してないとか色々あるのでしょうが、 意外な因縁…かも?
252: 左平(仮名) 2004/01/12(月) 00:43 温というと、春秋時代には趙氏の、戦国時代には魏の領地だったでしょうか。 となると、この地には趙氏、魏氏の子孫と自称する人々も多かったでしょうね。 呂布との関連となると「?」ですが、何らかの縁があって、となればまた面白いですね。 曲者なのは「○亭侯」とかでしょうね。「○亭」侯なのか「○」亭侯なのか、と。 「演義」で関羽が任ぜられたのは「漢寿亭侯」だったかと思いますが、これも「漢『寿亭』侯」・ 「漢『寿』亭侯」・「『漢寿』亭侯」・「『漢寿亭』侯」という様にいろいろ取りようがありますもんね。
253:japan 2004/01/12(月) 22:00 >曲者なのは「○亭侯」とかでしょうね。「○亭」侯なのか「○」亭侯なのか、と。 「魏書」巻十三に立伝されている三人の爵位の変遷を調べたところ、 以下のようになっていました。 ・鍾ヨウ 献帝が長安を脱出して曹操の元に辿り着いた頃、 それまでの功績により東武亭侯にとりたてられた。 ↓ 魏文帝が禅譲を受けた際、崇高郷侯に「爵位があがった」。 ↓ 廷尉から太尉に昇進するに伴い、平陽郷侯に「領土がえされた」。 ↓ 明帝が位に就くと、定陵侯に「爵位があが」った。 ・華キン 文帝が王位に就くと、安楽郷侯に封じられた。 ↓ 明帝が即位すると、「昇進して」博平侯に封じられた。 ・王朗 文帝が王位に就くと、安陵亭侯に封じられた。 ↓ 文帝が帝位に就くと、楽平郷侯に「昇進した」。 ↓ 明帝が即位すると蘭陵侯に「昇進し」た。 ※「」内はちくま学芸文庫ママ これを見ると、○○侯>○○郷侯>○○亭侯という序列が存在するようです。 関羽が漢寿亭侯に封じられたのは、一介の客将に過ぎない彼を 県侯や郷侯に封じることは不可能だったのか、 或いは当時の曹操の権限では、亭侯までしか上奏することができなかったのか…? という訳で、「漢寿亭侯」は「『漢』の『寿亭』侯」ではなく、 「『漢寿』亭侯」ではないかと思います。(高島先生の受け売りですが…^^;) ちなみに「斉王紀」の裴注に収録されている斉王芳弾劾の上奏文には、 定陵侯鍾イク・博平侯華表・蘭陵侯王粛の名前が記されています。 こういうのを見ると「ちゃんと爵位が世襲されているんだな〜」と感心したり、 魏建国の功臣達の子孫が、ほんの数十年後にはそろって司馬氏に 追従していることに悲しくなってみたり……
254:★ぐっこ 2004/01/14(水) 00:29 >温 言われてみれば(^_^;) 司馬懿も呂布の「臣籍」だった時代が あるということか…? それにしても、呂布ってば県侯だったんですね… かなり高い爵位。儀同三司カコイイ! >爵位 とりあえず地方の単位そのままですのでイメージしやすいのですが、 気になるのは「亭侯」クラスの人の生活ぶり。 その亭に所属する民は、その侯爵を養ってるのだろうかと… 確か霊帝も皇帝に抜擢されるまでは、田舎のこういった亭侯だったし…(お父さんがだったっかな?) 普段何して暮らしてるのだろうか、と。そもそも一家を養うに足るだけの収入だろうかと。 漢寿亭侯については、私も「三國志考証学」だったか、演義正史比較の本で読んだ事があります。
255:japan 2004/01/17(土) 03:32 爵位にまつわる因縁というと、朱霊が故郷の高唐亭侯に取り立ててもらった という話がありましたね。 中には彼のように、皇帝にお願いして自分の好きな所(故郷とか)に 封じてもらう功臣もいたようです。 例えば陳羣の領地である潁陰県は、本籍地である許と同じ潁川郡に属しています。 鍾ヨウの定陵県も潁川の付近(時代によっては潁川郡に所属)、 王朗の蘭陵県は、彼の故郷である東海郡の一部でした。 こうして見ると、重鎮クラスの場合は結構当人の希望も勘案されているような… 呂温侯にも、何か司馬懿の故郷をキボンヌする理由があったのでしょうか?
256:中根東竜 2004/01/17(土) 22:17 お久しぶりです。 >亭に所属する民 亭は警察署や旅館の役割をする行政単位ですので、そこに 所属する民衆はいません。 >そもそも一家を養うに足るだけの収入だろうかと。 後漢書百官志にも明確な記述がないので ないので良く分からないのですが、収入はもらえないのかも 知れません。亭侯クラスになると単に位階を示すものでは ないかと思います。
257:★ぐっこ 2004/01/20(火) 00:21 >>255 上級の地方官吏あたりは、本籍地を避けて任命されるようですが、 封爵は結構自儘になるみたいですね〜。 といっても実際に領主として君臨するわけでもなく、せいぜい代理人 が出向くか、名誉称号のみで終わるのか…。郡県制以後、こういう爵位 がどこまで有効なのか激しく疑問… 王ならば相が行政権握ってるんだろうな、と想像付くのですが。 >温 もし当人の希望だったとしたら、確かに温を選んだ理由は気になりますね。 ttp://www6.airnet.ne.jp/~rover/resultdata/s3/s305.htm ↑呂布の墓所があるという噂まで(^_^;) 近隣には司馬懿生誕碑も。 >>256 >亭は警察署や旅館の役割をする行政単位ですので、そこに >所属する民衆はいません。 _| ̄|○ そうだった…。ありがとうございます。 文字通り称号のみの存在なんですね、亭侯…。亭長様のほうが、まだ 実権ありそう…。それでも「列侯」というステータスは付くのですか… ナイト受勲みたいなもんですか(^_^;)
258:★ぐっこ 2004/01/26(月) 01:31 ところで激しくむずがゆい疑問発生。 朝日ハルカさまの救援依頼↓ http://fw-rise.sub.jp/helpme.html なんですが、言われてみれば確かに典拠絞り込めねえ…_| ̄|○ 一応、掲示板にも書いたとおり ○春秋公羊傳注疏/襄公/ 獻公雖復因喜得反誅之小負未為大惡而深以自絶 所謂守小信而忘大義拘小介而失大 あとは… ○論語注疏/憲問 第十四 孔子更語子貢、喩召忽死之不足爲多、管仲不死不足爲小也、 諒信也、匹夫匹婦無大徳而守於小信、則其宜也、自經謂經死於溝涜中也、 溝涜小處非宜死之處也、君子直而不諒、事存濟時濟世、豈執守小信自死於溝涜、 而世莫知者乎、喩管仲存於大業、不爲召忽守小信、而或云、召忽投河而死、故云溝涜、 或云、自經自縊也… と、似たようなフレーズは探し当てたのですが、微妙にしっくりこないんですわな。 なんか痒い背中に手が届かない気分…。お暇な方、調査協力お願い致します… 調べ物中亦凡公益図書館でも資治通鑑ハケーン。
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