下
三国雑談スレ ◆奥の方のテーブル◆
163: 2002/11/02(土) 13:02 玉川雄一 2002年03月26日火曜日 18時56分 中根さんにいくつか。 1:王基 王祥・王覧の父は王融ではないでしょうか。晋書王祥伝の初っぱなに載っていますよね。 で、王基(伯輿)は直接の繋がりはないかと思われますが。彼は年齢的には王祥・王覧と同世代だと思われますし。 で、王祥系の琅邪王氏は結局登場していませんが、王基は3以降最新作の8まで皆勤賞レギュラーなんですよ。 顔グラは一貫して同じイメージを踏襲していますが、6の時は妙に生々しくて恐かったのを今でも鮮明に覚えてます(-_-;) やや過小評価気味かとも思われますが、まずバランスの取れた名将です。 ところで、王覧の子にして王敦の父である処の人も「王基」といいますよね。 となると、王基−王覧−王基−王敦というのは成り立たないかと思われます。 2:陶侃と陶淵明 私が過去に立てたスレ読むと恥ずかしくなってきますが… 結局確実な資料はないのでしょうが、陶侃は子が17人、 うち史料に残っているのが洪、瞻、夏、[王奇]、旗、斌、稱、範、岱の9人だそうですので、 残りの8人の中に陶茂(陶淵明の爺ちゃん)が入っている可能性なきにしもあらず、と。 3:陶侃の野望(笑) 先日陶侃伝や世説新語を読んだのですが、一筋縄ではいかない人物だったようですね。 蘇峻の乱の際、先帝の遺詔をうけられなかったのをゴネてユ亮に頭を下げさせたとか、例の「八枚の羽根」の夢とか。 陶侃びいきの私としては、胸に大望を抱きつつも心はあくまで東晋王朝に… と考えたいところですが、何だか考えを改めた方が良さそうです(^_^;)ゞ 結果論からいうと、「韓信のもう一つの生き方」? それも違うか。 ところで、山川の中国史に陶侃が五谿蛮の出身だったかも、って載ってました。 晋書には[番β]陽の人とありますけど… 五谿蛮って武陵ですよね。
164: 2002/11/02(土) 13:03 玉川雄一 2002年03月26日火曜日 21時07分 山川受け売りですが、陶侃などについて。 『中国史 2 三国−唐』のpp.90,91に「北府と西府」と題して東晋初期〜中期の体制について触れられています。 それによると、 ・(前項より)江南土着の豪族は次第に北来の人士に主導権を奪われていった ・河北の混乱の中、豪族や有力者は軍事力を有する集団を形成し、南方に移動した ・東晋王朝はその統率者(塢主、行主)を刺史や太守に任命して取り込みを図る ・代表的なものは、祖逖(のち弟の祖約)、チ鑒、蘇峻など ・一方、西方(荊州)では王敦が江南豪族を支配下に収め、次第に朝廷と対立し叛乱を起こす ・その鎮圧に北来の軍事力が投入されるが、彼らが力を持ちすぎるのを恐れた外戚のユ亮は勢力削減を図る ・それに反して蘇峻、祖約が叛乱するが、チ鑒、陶侃や温キョウに鎮圧される ・この後、北来勢力の残存者であるチ鑒は北面の軍団長として「北府」を設立、京口や広陵に駐屯する ・王敦に替わって西方の軍団長となった陶侃は征西大将軍、都督荊湘雍梁諸軍事、荊州刺史として「西府」を形成した ・チ鑒は司空、陶侃は太尉として東晋王朝を支える二大軍閥となる ・陶侃は朝廷とは距離を置き、その後はもっぱら荊州の統治と西・北方への軍事行動に従事した ・陶侃の後は(北来の)ユ亮、ユ翼が後を継ぎ、朝廷の王導と拮抗した ここでもやはり、蘇峻の乱に際しての陶侃の腰の重さが指摘されています(^_^;) こと荊州に関しては、四世紀初頭の劉弘の頃から半独立めいた雰囲気があったようですし。叛乱もボコスカ起きてますが。 代々キャスティングボートを握りつつ上手く渡ってきたようですけど、 そのバランスが崩れると桓温みたいなのが出てくるわけですな(-_-;)
165: 2002/11/02(土) 13:03 ぐっこ 2002年03月26日火曜日 23時53分 うおっとお! 中根東竜様、玉様、毎度ありがとうございます! …あれ、中根東竜様のサイト、サンクスバナー付けてなかった…! すぐ工事します!(__;) ――むう、このスレも先祖スレ集に含まねばなるまい!(^_^;) 相変わらず濃ゆい議論サンクスです! 私は王基認知、ゲームからの人なので、まずあの顔がうかびます(^_^;) 陶侃…玉様のカキコミで初めて存在を知ったクチです…。「韓信のもう一つの生き方」…なるほど! …うーむ、それにしても勉強になる掲示板だなあ…。多謝多謝!
166: 2002/11/02(土) 13:03 中根東竜 2002年03月27日水曜日 00時37分 玉川さん、詳細なフォローありがとうございます! >王祥・王覧の父は王融ではないでしょうか。 か、勘違いしていました。そうです、王融です。 何処で間違えて覚えたのか・・これまでずっと 誤っていました。ご教示ありがとうございます。 >で、王祥系の琅邪王氏は結局登場していませんが、王基は3以降最新作の8まで皆勤賞レギュラーなんですよ。 グガーン!もう一つ間違っていたのか・・ なんか、コーエー『三国志5』事典に「王基は3にのみ登場」 とあるのを鵜呑みにしていたようです・・ 自分王基関係全然だめじゃん・・参った・・ 色々フォローありがとうございます。 >陶侃は子が17人、 うち史料に残っているのが洪、瞻、夏、[王奇]、旗、斌、稱、範、岱の9人だそうですので、 残りの8人の中に陶茂(陶淵明の爺ちゃん)が入っている可能性なきにしもあらず、と。 実際『晉書』や『宋書』では玉川さんのおっしゃる通りです。 まあそれでよさそうなものなのですが、学会ではこれに対する反対意見も根強いようで、「現存の史料に即して論ずる限り、より明確な 答案は得られない」と李氏はしていますねぇ・・ 何故反対意見が出るかというと、 どうも陶淵明自身が「陶侃は自分の先祖」 と主張しているのかどうか怪しいうえ、 陶淵明の友人が書いた陶淵明を 追悼して書かれた伝記『陶徴士誄』(とうちょうしるい)が 陶侃について一言も触れていない、からだそうで・・ (詳しく書くと以上に回りくどいうえ、何かもはや『三国志』とは関係なくなっているみたいなのでこの話はここで切ります) >蘇峻の乱の際、先帝の遺詔をうけられなかったのをゴネてユ亮に頭を下げさせたとか、 この蘇峻の乱の時の陶侃はゴネまくってます。なんか驚きですよ〜。 なお、このゴネ陶侃に関しては『晉書』巻67温矯伝に説得内容と 合わせて載っているようですよ。(あ、矯の字は正しくは ヘンが山ヘンね)なお、温矯の説得は流石に温恢譲りの 朗々たる大文章です。僕はこれを読んで温矯ファンになったなー。 >ところで、山川の中国史に陶侃が五谿蛮の出身だったかも、って載ってました。 え、そうですか?史料には「渓族」とあるのですが、 「渓族=五谿蛮」でいいんでしょうか? 陶侃は谿族出身だそうです。「谿族」は「巴・蜀・蛮・僚(けものへんが正しい)・谿・俚・越・楚」を総称する言葉だそうです。 (ソースは例の牛氏が司馬睿の親父であることを書いた『魏書』司馬叡伝) しかし、これだと南蛮・山越みんなひっくるめて居るだけっぽいですが (^^;) >山川の「北府と西府」 まとめるとこんな感じですね。まあ、荊州に関しては司馬一族 が送り込まれて反乱軍に殺されて劉弘が入った後、まるで晋中央 が統治できてないんですよねぇ。劉表とかの頃と実は余り 変わらない情勢がずっと継続するわけです。
167: 2002/11/02(土) 13:04 ジーク 月が変わってネットが再び出来るようになりましたんで、総司令部の探索をして参りました。 ………こ、これわ…(;^_^A ネット三国志界の大御所聯の方々が繰り広げるいと凄まじき三国志スレの数々……。 私の不勉強をいたいほど痛感させられましたです。 というか現在ネタ本の筑摩が手元に存在していないので話の確認すら出来ない…(T_T) で、こちらにきたらきたで、三國志II上級城防御度激上がりモードよろしく話に割り込む事すら出来ない凄まじさ。 わたしまけましたわ…と何の意味も無く回文で呟いてみる私(;^_^A と言う訳でしばらく勉強しなおしてから出直します(爆) 少なくとも高校にあるちくまの三國志がないことにはどうにも。
168: 2002/11/02(土) 13:04 ぐっこ 2002年04月01日月曜日 21時58分 あっはっは〜。ご安心を、私もです(^-^; いつも勉強させて貰ってるですよ〜。ここで吸収した知識は、実生活だとあまり役に立たないでしょうが、ネットだとここぞというときに蘊蓄流用できるです! 共に学びましょうぞ!
169: 2002/11/02(土) 15:42 のー 最近暇を見て北方謙三の三国志を読んでます。 (現在5巻まで) これはこれでいいかもしれない。創作人物多いけど。 呂布様が化け物ではなく、人間として描かれててよかったかも。 あと官渡の戦いが比較的合理的に説明されてると思った。 (横山三国志だと時間が飛んでいつのまにか勝ってたし) 5巻末で孔明の名前がやっと出てきたところですが、 このあと劉備ひいきにならずに進んでいくのだろうか?
170: 2002/11/02(土) 15:42 惟新 2002年07月16日火曜日 22時13分 北方三国志に漂う男のダンディズムは大好きです。 まぁ、女性の扱いがちとアレですが… 呂布はかっこよかったですね! 私的にも、邪悪さがない、ただ純粋で素朴な暴れん坊イメージがあっただけにうれしかったです。 あとは張飛ですね。 話が進むにつれて彼はますます素敵になっていきます。 二人はこのおかげで相当見直されたというか、 結構ファンも増えたんじゃないでしょうか。 逆にいろんな意味で偏見もたれたのが司馬懿…
171: 2002/11/02(土) 15:42 ぐっこ 2002年07月17日水曜日 00時25分 基本的にハードボイルド作家ですからねえ…(;^_^A しかし北方三国志は、マイナーキャラのフォローがまめで好きです〜。 文体は、押さえているというか、押し殺した声で話すような調子で書かれていますので、男どもはみな朴念仁というか、人間くさくて共感もてるタイプですよね〜! その場その場の「主役」がいいところをかっ攫ってゆく傾向が強いので、孔明登場後は…。 そういえば、珍しく魏延の扱いがよい作品でした。
172: 2002/11/02(土) 15:49 左平(仮名) 小説、拝見しました。 行政官としても優秀な魏延、十分に才能「は」あった孟達、『異才』司馬懿…読み応えあります。これでまだ半分もないとは…。 でも、印象深いのは、張コウ(合+β)・儁乂です。そういえば、官渡の頃に曹操の配下になったわけだから、この当時六十は過ぎていて「老将」とみなされても何の不思議もないんですよね。何故かそういうイメ−ジがなくって…(蜀の五虎将軍【黄忠を除く】も魏の五将軍も、何故か老将というイメ−ジが沸かないんですよね。ゲ−ムでは固定グラフィックだから?)。 蛇足:私事ですが。五月にあっくんさんのサイトにて始めた第二弾、まだ「三国志」がらみの話に入れません(次回あたりからは入りますが)。予想以上にあれこれ詰め込んだもので。当初は七〜十回程度にするつもりだったのですが、どうやら二十回くらいになりそうです…。どなたかレスつけて下さい…(あっくんさんが忙しいとの事なので、なかなかレスがつかない状態です).
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