【味好漢】谷利促進週間【名脇役】
15:2002/11/01(金) 22:15

ぐっこ 2002年01月07日月曜日 23時10分

左平(仮名)様、さっそくの調査ありがとうございます!
いま私も遅ればせながら逸聞三國志を拝見!「逍遥雑記」の12月15日からですね〜! 
NOBさまは、なんと「谷朗碑記」という「書」の史料から谷朗を発見されてます!凄いなあ…。

谷朗、字は義先。
桂陽郡耒陽県の人で、その曾祖父は預章の太守、祖父は桂陽(?)の太守。父は谷朗が11歳のとき(230年くらいに)郎中のまま亡くなってる、と。
谷朗は3歳で母を、11歳で父を失い、以後幼い弟と二人で暮らしたとか。もちろん地方豪族の谷氏ですので、後見人がいたのでしょうが…。若くして郡に出仕し、中央、地方、武官職などを歴任。有能で清廉な人物として称えられたが、九真太守の在官中、若くして病死。
この谷朗碑は、彼を悼んだ人々が立てたものだそうです……。

…以上、NOBさまのサイトから勝手に引用! あはは、はやく謝りに行って来よう(;^_^A
で、このなかで触れられてるように、この桂陽谷氏は、秦王室から分かれたほどの名門であり、その地方では相当有名な家だったはず。
これはあくまで妄想ですが、谷利がこの桂陽谷氏の一員であったとすると、とてもではないけど誉められた立場ではなかったでしょう。
孫家のような出来星の武門に仕え、しかも下僕のように「利!」と名前で追い使われてるなんて…。
左平(仮名)様の推察どおり、わたしも谷利を半分くらいの可能性で宦官と思ってます(だから旧味好感列伝の谷利イラストはそれっぽい顔…)。あくまで孫権のプライベートな臣下に徹した姿勢も、なんとなくそれっぽいし…。(昔このこと言ったら、さる女性に「ぐっこさんはヲトメのツボを突くのが上手いと」言われました(*^^*)…)
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