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魏延のイメージ
3: 2002/10/27(日) 01:01 ぐっこ(何か委員会総帥)[近畿] > (2001/05/10(Thu) 01:46:58) 魏文長! なるほど、魏を延ばす…。当時も忌み嫌われていた名前だったかも。 私はショッカーのひとりとしてこの漢を心底愛し、 一編の小説を書こうと試みたこともあります〜!(受験で挫折) 魏延は、たぶんイメージでは関羽的な、いわば諸葛亮体制のなかの 「腫れ物」として扱われていたのでは、と勝手に想像してます(^_^;) 劉備存命中の状況のなかでも、漢中を与えられると言うことは 例えば荊州をまるごと預けられるに等しい重責だったはずで、 魏延は関羽と同等かそれ以上の注目を浴びていた、と思います。 その栄光とプライドを引きずったまま諸葛亮体制に組み込まれてしまった 魏延は、戦の素人(魏延にはそう見える)の安全運転に同乗を強いられ、 相当にイライラしていたのでしょう。 だからたまに運転にケチを付けてみせたり(^_^;) 孔明もベテランを隣に乗せて、随分やりづらかっただろうと思います。
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