★『宮城谷三国志』総合スレッド★
185:左平(仮名)2006/11/19(日) 21:46AAS
今回のタイトルは「魯粛」。

タイトル通り、今回の主役(?)は魯粛です。まずは、その来歴から。…「〜の人」というのは
史書にあるわけですから、調べれば分かるとはいえ、徐州の人、ということを強調していたのが
印象的です(反・曹操にして親・劉備というのにはそれなりに理由があったということ。徐州の
主としての劉備の政は、少なくとも悪いものではなかったみたいです)。

ゲームでは孫権配下の参謀の一人ってな感じの扱いですが、ことさら学問に励んだという様子は
なく、人を集めて教練を行う等していますから、家が裕福でなかったら甘寧みたくなってたかも
知れません。
しかし、数百の衆を集めて教練を施し、周瑜の訪問をうけて倉一つぽんと渡すってんですから、
傍目には単なる放蕩息子とみられるのも無理はありませんね。

周瑜とはたちまちにして意気投合。子産・季札にたとえられる程の仲となりますが、魯粛がその
才を存分に輝かすには、それからしばらくの歳月を要します(何だかんだ言っても袁術の虚名が
なお大きかったこと、周瑜に【いくばくかの】中央志向があったこと、孫策がとかく武人偏重に
なりがちであったこと等、理由はいくつかあります)。
魯粛が劉曄の誘いをうけて北へ向かおうとした時、周瑜が懸命に引き止め、孫権に立ち会わせた
ことで、埋もれかけた才が世に現れます。
孫権に語った内容は、現状を踏まえつつ、覇権を得るための策(献帝を義帝、曹操を項羽、孫権
を劉邦に喩えてます)。中央の高位に色気を持たず、思想にいらぬ装いをしていない自由人・魯
粛の面目躍如の場面です。


そんな魯粛にこのたび、荊州の偵察(等)という使命が下ります。劉備という奇才にピンときた
魯粛は、彼に、孫権との盟を勧めます。
諸葛亮のGOサインも出て、ここに、一つの流れが生じました。
最後は、諸葛亮と孫権との対面。若くして一勢力の長となった孫権からすると、親ほど年が違う
というのに未だに領地を保ち得ない劉備の器量に対し、どうしても疑いを持つのですが、そこを
どのように説得するか。


ここで、劉備陣営に一つの動きがあります。劉備に諸葛亮を勧めた徐庶が去ったのです。母が捕
らえられたとはいえ、少し時間が経ってから去ったというところに、彼の複雑な心境が見え隠れ
しています(龍【諸葛亮】を見上げつつ、母とともに地を行く徐庶。千載の後も名を残すことと
なる偉才と自らを比べ、悲観したのでしょうか。幅広く人材を活かすことができない点に劉備陣
営の難しさがありますが、曹操とて、最初は小勢力からのスタートでした。何が違っていたのか
…)
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