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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
232:左平(仮名) 2009/04/25(土) 02:55:25 ID:FJO82zTv0 続き。 瀕死の夏侯尚を見舞った後、曹丕は、「それだけの男であったのか」と呟きます。不思議と、ここの書かれ方は淡々と していますが、それだけに、人情というものを解さない曹丕の寒々とした感覚が感じられます。 …どうして、曹丕には、こうも眉をひそめたくなるような話しかないのか。これでどうして『文』帝なのか。建国から まだ数年。清々しいはずのこの時期において、早くも不快感があります。王朝は、しばしば、初代の帝王の性格に影響 されるものですが、魏の早い衰亡は、既に予定されているのか…。 一方、今回のタイトルの「南中」ですが…。魏vs呉の図式が確定したことで、ようやく、諸葛亮自身が動ける状況が 整いました。 蜀漢にとって、劉備が臥してからの南方での叛乱は、いわば内戦。いずれはけりをつけねばならない問題です。ただし 内戦ということは、叛乱者達を鏖殺するというわけにもいかないわけです。 (軍を動かさねば鎮圧はできませんが、今回は、政治的な対応が求められる性質のもの) 李恢の活躍もあり、朱褒らの叛乱は、無事、鎮圧されました。 え?何人か忘れてないか、って? えっとですね…。孟獲は出てきました。「漢人にも人望がある」「さほど体躯は大きくないが精悍な顔つきをしている」 という感じで(彼こそが、こたびの事態の収拾の鍵を握る人物、といった感じの扱われ方です)。 ただ、張巍は出ず。李恢の活躍ぶりが目立っていました。
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