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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
260:左平(仮名)2010/04/03(土) 11:16:55 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
とはいえ、曹叡は決して凡君・暗君の類ではありません。前述の、愛娘への過剰な哀惜も、国政の運営が大きな過失なく
行われているがゆえの余裕ともいえるわけです。
一方、魏人の目の届かない海上では…密かに、南に向かう船団の姿が。それは、呉に向かう、遼東の使節。彼らは、主・
公孫淵が呉へ臣従する旨を伝えに来たのです。
これを聞いた孫権の喜びようは相当なもので、直ちに大規模な使節団の派遣を決めます(先の夷州・亶州探索の時と同様、
「兵一万」。しかも今回は閣僚級の執金吾まで付きます)。
しかし、群臣達は公孫淵の真意を疑い、こぞって諫言を呈します。公孫淵が信用に値するかも分からないのに…と思えば
当然のことでしょう。それに、先の探索には「人狩り」説もあるように、呉は人口不足気味。そんな中で貴重な兵を一万
も付けるのは…。
しかし、孫権はこれを強行します。何故か。それは、呉・蜀漢・遼東の三方から魏を攻め、疲弊を誘うくらいしか、近い
うちに魏に勝つ方策がないではないか、という孫権独自の考えに基づくものでした。
十九歳で兄の跡を継いだ孫権も、既に五十を過ぎました。曹操・劉備はともに六十代で世を去ったことを思えば、残され
た時間は少なく、しかも彼我の力の差は縮まるどころか開く一方。何か起死回生の一手がないか、と模索する中、突如と
して訪れた好機、と捉えるのも無理からぬところでしょう。
しかし、「自分の発想は(周瑜・魯粛の如き)非凡な臣下にしか分からぬし、実行し得ない」と思っているのだとしたら、
それは奢り。非凡な臣下がいないと思うのであれば、そのままの形で(自分の発想を)実現させるのは不可能だという単
純な真理が見えていないのです。
続きます。
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