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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
296:左平(仮名)2011/01/07(金) 01:00:05 ID:???0 [sage ]
続き。
この人事によって発生する、宮廷内の権力構造の大変動が問題です。事実、この人事に危機感を持った者がいました。
長く皇帝の秘書官的な役割を果たしてきた、劉放・孫資です。
秦朗、曹肇の放言から、自分達を排除しようとする意図をかぎつけた二人は、曹叡に直訴し、詔勅を変更させることに
成功します。それに気付いた曹肇が再度詔勅を変更させますが、ここが勝負どころ、と見極めた劉放・孫資がふたたび
曹叡に訴えかけたことで、決着がつきました。
一日のうちに何回も詔勅が変わるということは、病で判断力が衰弱していることの表れでもあるのでしょうが、曹叡の
本心は、果たしてどのようなものだったのでしょうか。
ともあれ、これにより、上記の五名のうち曹爽以外は失脚。曹爽と司馬懿に、後事が託されることになるわけです。
洛陽に凱旋する中、次々に来訪する使者。そして、そのたびに詔勅の内容が変わる。司馬懿ならずとも、都での変事の
においに気付くことでしょう。急遽、予定を切り上げて、ひとり洛陽に急行します。
曹叡のいる宮殿に駆け込んだ司馬懿。臨終に間に合いました。
司馬懿に涙が。かつての諸葛亮も、このような感じだったのでしょうが、後のことを知っているだけに、複雑な感じが
します。
追記:
病に倒れた時点での曹叡の年齢は三十四歳。翌年(西暦239年)で三十五歳ですから、建安十(205)年生まれと
されています。
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