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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
345:左平(仮名) 2011/11/04(金) 23:03:15 ID:sAtiQhzY0 続きます。 孫権は衰えました。衰えて政務への意欲が萎えただけならまだしも、変なところで頑固になり、臣下の諫言を受け入れる度量が すっかり失われてしまったのです。その讒言によって多くの名臣達を陥れた孫魯班は、ここでも暗躍しました。老いた孫権が、 新たに潘氏(及び彼女との間にもうけた孫亮)を寵愛するようになったのを知ると、彼女達を賛美したのです。 孫亮は、実際、なかなかの資質があったようですが、潘氏は、というと…。 ともあれ、孫権は、娘の言葉に心動かされました。 太子・孫和派と魯王・孫覇派との争いが国を二分するに至り、いよいよ収拾がつかなくなったことに嫌気がさしていたこともあり、 ついに、ある決定を下します。それは、 「太子・孫和を廃し、魯王・孫覇に死を賜う。新たに孫亮を太子とする」 というものでした。 孫権としては喧嘩両成敗というところなのでしょうが、これに納得する者はいたのでしょうか。孫覇は毒を仰いで果てましたが、 何故に自分が死なねばならなかったのか、納得できたとは思えません。 また、孫和も、罪なくして太子を廃されました(後に王として僻地に遠ざけられる)。このような非道が許されてよいのか。そう、 憤る者もいたことでしょう。 魯王派の小人達は処刑され、太子派は、太子の廃替を諌めるも、これまた処刑される者が出ました。 孫権の子は、おおむね才能はあったようですが…孫登、孫慮の早世が惜しまれるところです。 続きます。
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