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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
388:左平(仮名)@投稿 ★ 2012/07/01(日) 04:03:40 ID:???0 [sage ] 続き。 傅嘏は、曹髦を「こざかしい」とみていました。司馬師に近い彼からすると、親政に意欲をみせる(必然的に、遠からず司馬師と 対立することになる)曹髦は、好ましい存在ではないのです。うかつなことをすると、司馬師不在の間にクーデターを仕掛けるの ではないか。そうなると…。 それゆえ、留守の役割は重大です。司馬師は、これに弟の司馬昭をあてることにしました。この頃、司馬昭は、蜀漢に備えるべく 西方に駐屯していたのですが、陳泰に任せてよいと見極めがついたので、呼び戻すことが可能になったのです。 司馬昭が洛陽に戻り、司馬師は戦地に向かいます。このとき、司馬昭はかすかな不安を感じますが…。 司馬師みずから行くことを強硬に主張した傅嘏ですが、その後は慎重な姿勢を示します。それは、王基がいうように、司馬師自ら が行く(敵に勢いを与えない)ことで、勝敗自体はすでに明らかになったからです。 短期決戦を望むのは、兵力面で劣勢の毌丘倹の方。司馬師は、諸方面に命を発し、じわじわと毌丘倹に対する包囲網を敷きます。 傅嘏と鍾会のコンビが、いかにも参謀、といった感じで、作戦計画を練っていきます。 ただし、戦場の情勢は刻一刻と変化するもの。戦局全体をみれば傅嘏の慎重姿勢は正しいのですが、それが全てではありません。 王基は、食糧庫のある南頓まで兵を進めるよう求めます。王基が突出すれば包囲網に乱れが生じる恐れがあるので、傅嘏達はそれ を却下するのですが、王基は、ついにそれを振り切って南頓まで兵を進めます。 そして、これによって情勢が動きます。毌丘倹も南頓の重要性に気付き、その確保を試みたのですが、王基に機先を制されたため、 そうもいかなくなりました。既に脱走する将兵も出始めており、早急に戦果を挙げる必要が生じたのです。 続きます。
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