★『宮城谷三国志』総合スレッド★
395:左平(仮名)@投稿 ★2012/09/04(火) 03:19:50 ID:???0 [sage ] AAS
三国志(2012年08月)


今回のタイトルは「蛇足」。前回、呉・蜀漢に動きあり、というように書かれていました。このタイトルとの関連は…?

まずは、呉から。孫権には七人の男子がいたわけですが、特にできのよかった上の二人(誠実な努力の人であった孫登、
才徳共に秀でた孫慮)が若くして薨去したのが呉にとって大きな不幸となったことは、既に書かれているとおりです。
二十歳で薨去した孫慮には子はいませんでしたが、三十三歳で薨去した孫登には三人の男子がおり、孫英がぶじに成人
していました。
本来であれば孫権の嫡孫であるわけですが、この時点で帝位にあるのは、孫権の末子・孫亮でした。孫英自身には野心は
なかったようですし、太子となるまでの経緯はともかく、孫亮は正当に即位したわけですから、本来なら何の問題もない
はずなのですが…孫亮が(結果的に)信任している孫峻が、問題でした。

信望を失った諸葛恪を倒した孫峻には、少なからぬ期待が寄せられていました。才智では及ばぬまでも、誠実かつ慎重に
振る舞えば、無難に国政を運営することができたでしょう。しかし、孫峻がしたことは、その逆でした。人々の期待は、
瞬く間に失望に変わりました。

孫峻を打倒せねば。そう思う人々は、自分達の行為を正当なものとするため、旗印となる人物の擁立を考えます。孫権の
嫡孫たる孫英は、うってつけの存在でした。
しかし計画は露見。孫英は、関与を疑われ自害しました。享年は不明ですが、恐らく二十歳程度とのこと。

続きます。
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