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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
398:左平(仮名)@投稿 ★ 2012/09/04(火) 03:26:23 ID:???0 [sage ] 続き。 奇襲ではなくなりましたが、蜀漢軍からすれば、いつの間に、という状況には違いありません。城を包囲する兵を残しつつ、 新たな敵軍を迎え撃つというのは、相当な余裕がなければ不可能です。陳泰は、負けるはずがない、と余裕綽々で臨みます。 蜀漢軍は精強ですが、状況が状況ですし、魏軍も十分に精強です。しばらく一進一退の状態が続きましたが、やがて、蜀漢 軍の方が引いていきました。 こうして、魏軍は、狄道の救援に成功したのですが…ここでも、王経は陳泰の指示に従っていませんでした。必要ない、と 言われていたにもかかわらず、涼州に援軍を要請していたのです。戦後、王経が罷免されたのも、無理からぬところです。 一方、陳泰は昇進し、中央に戻ることになりました。 陳泰のあと、西方を任されたのは、ケ艾でした。先の戦いでは慎重に過ぎたケ艾ですが、西方の疲弊と、姜維の過剰なまでの 戦意に気付いていました(陳泰をはじめ、魏の誰もが、補給が続かないから姜維はしばらく動かないと思っていたが、ひとり ケ艾は、遠からず、姜維が攻めてくると予期していた)。 そしてその予想は当たりました。陳泰に敗れたとはいえ、その前の大勝の功績をもって大将軍に昇進していた姜維は、また しても兵を出してきたのです。 初めはケ艾を軽く見ていた姜維ですが、なかなかの難敵と分かると、胡済の軍と合流し、膠着状態の打開を図ります。さて、 これがどう出るか。 追記。 陳泰の活躍が目立ちましたが、一方で、魏と蜀漢の国力の差というものを見せつけた戦い、という感じがします。 先の曹真のときもそうでしたが、蜀漢は「勝たねばならない」のに対し、魏は「負けなければよい」わけですから。 また、呉の迷走ぶりもひどくなっています。政治的正統性(魏→漢から禅譲を受けた 蜀漢→漢の血胤)を持たない だけに、これを何とかしないといけないわけですが…。
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