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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
44: 2002/11/02(土) 16:39 左平(仮名) 2002年09月12日木曜日 21時13分 雑感、自分で書いといて何ですが。 1,孫堅の生年、「資治通鑑」からですかね?「四知」については「資治通鑑」の記述を使われていましたから。 2,厠でエッチ…漢の武帝と衛子夫ですね。トイレに落ちて死んだ王…(春秋の)晋の景公の死因がそうだったとか。
45: 2002/11/02(土) 16:39 ぐっこ 2002年09月16日月曜日 22時27分 当時の風俗とかもじっくり調べたいですねー。 いちおう当時の性風俗については論文書けるくらい精通したのですが(;´Д`)、肝心の生活誌が…。 手持ちは東洋文庫の中国社会風俗史だけですし…
46: 2002/11/02(土) 16:39 ジーク 2002年09月18日水曜日 20時21分 今何故か手元に資治通鑑があったりするのですが、今確認したかぎりではそれらしい記述は見られませんでした......。勿論漢字の上っ面をなでただけ(しかもほんの少し)なので問題外ですが。 所で九月の時点で『やっと』梁翼が死んでくれましたが、今の所予定通り......なんでしたっけ?(^_^;) 黄巾があと三回で始まるようには中々思えなかったりするんですが、一回で十年くらい進めば大丈夫......なのか?(←というかそんなに進むのか) ちょっと心配です。
47: 2002/11/02(土) 16:39 ぐっこ 2002年09月18日水曜日 21時58分 まだ党錮が残ってます(^_^;) 梁冀の死なんぞその前菜。 むう、となると曹操青年の初任官は来年2月くらいか!?
48: 2002/11/02(土) 17:03 左平(仮名) ◆三国の始祖 そろい踏み 今回の宮城谷三国志◆ 今日は木曜。「蒼天」が読めます。また、10日。「宮城谷三国志」が読めます。 「蒼天」は玉川さんも読まれるので…先にこちらを書き込みます。 前ヶ回は曹操の誕生。前回は孫堅の誕生。とくれば、今回は劉備の誕生かな?と思いましたら、そうでした。 舎(いえ)の東南にある桑の木、字の「玄徳」…。背後に、老荘的な感覚が?との指摘、やはり宮城谷氏ならではのものです。 また、孫堅の生年問題が発覚。「初平四(193)年正月七日に死亡」と「(享年)三十七であった」という記述を両方信用すると、前回の「永寿三(157)年生まれ」となるのですが、「永寿元(155)年生まれ→中国での有力説」と「永寿ニ(156)年生まれ→日本での有力説」とあるそうで、宮城谷氏も、迷った末に「これからは、永寿ニ年生まれとして話を進める」とされていました。 跋扈将軍は斃死しました。とはいえ、宦官しか信用できない桓帝は、やはり愚昧。宦官達は贅を競い、法を踏みにじる。諌言する者を弾圧するという有様。かつての安帝と同じ過ちを繰り返します。 そういう王朝の衰勢をみた羌族は相次いで蜂起。今回は、羌族と戦う名将達が語られています。 董卓の伝にその名が見える段ケイ【ヒ+火+頁】。そして、皇甫規。皇甫規?安定の人といいますから、あの皇甫嵩の父?どうなんでしょうか。 また、「第五」氏が登場しています。なんでも、斉の田氏が、高祖の陵の近くに集団移住した結果、周りが田氏ばかりとなった為、区別する為に「第一」「第二」氏と呼ぶ様になったのだとか。…初めて知りました。 さらに! 覚えておられますか、あの楊震を。その子・楊秉が再登場しているのです(この回でもう亡くなってますが)。 第一次党錮は、次回か次々回か。さて?
49: 2002/11/02(土) 17:03 左平(仮名) 2002年10月10日木曜日 21時05分 前回、孫堅の生年について、調べもせずに「『後漢書』にありましたか?」なんて言いましたが、よく見ると、正史の三国志を丁寧に読むと、そういう事になるのでしたね。 …うっかりしてました。
50: 2002/11/02(土) 17:03 むじん 2002年10月10日木曜日 23時23分 おぉ〜。第五氏の由来、初めて聞きました。三国志にも第五伯魚とか第五文休の名前が見えますけど、第一氏から第四氏は見たことないです。 皇甫規は皇甫嵩の叔父さんにあたります。字は威明。段ケイ・張奐とともに「三明」と称されました。
51: 2002/11/02(土) 17:04 左平(仮名) 2002年10月10日木曜日 23時46分 むじんさん、情報ありがとうございます。叔父でしたか。 それにしても、皇甫規・段ケイ【ヒ+火+頁】・張奐で「三明」ですか。皆優れた武将ですが、軍事以外にも優れていたという事でしょうか。
52: 2002/11/02(土) 17:04 ぐっこ 2002年10月12日土曜日 00時04分 簡単にいえば、皇甫規(威明)・段ケイ(紀明)・張奐(然明)と、揃って明が付いてたんですよ、字に。しかも三者とも涼州出身だったため、涼州三明、と。 皇甫規は奥さんがらみでも割と有名ですが、段ケイは後に悪人道を歩み、張奐は蒼天航路で大活躍、と。張奐なんかは、名文家でもあったみたいですよー。 それよりも、孫堅。あ、やっぱりそちらで落ち着いたんですか〜(^_^;) 確か陳舜臣先生も、向こうとこちらは違うから、みたいなこと仰ってましたけど…。 ようやく劉備も誕生し、文庫本一冊くらい十分に消化してそうな分量を経て、三国志の開始、と。 第一次党錮は、割とまったり終わるみたいですから、ソロソロでしょうか〜。見所は第二次党錮の張奐の空回りと、陳蕃・竇武の格好いいところでしょう!
53: 2002/11/02(土) 17:11 左平(仮名) ◆今後の「三国志」の進展は? 宮城谷昌光氏インタビュ−◆ 今月の「オ−ル讀物」に、宮城谷氏へのインタビュ−が掲載されていました。いろいろ興味深いものがありました。いくつか、ピックアップしてみます。 1,一日の執筆ペ−ス 現在五つの連載(風は山河より、管仲、書き下ろし、香乱記、三国志)があり、合計で、原稿用紙七枚半/日との事。一見すると少しですが、これが毎日切れ目なし! 自分のペ−スだけで書くわけにはいかない存在、という意味も含んだ「職業作家」という言葉に、その覚悟が感じられます。 2,三国志の進展はドラゴンズ頼み? 三国志を書かれるのは夜だそうです。野球シ−ズン中は、スポ−ツニュ−スを見てからの執筆となるのですが、ドラゴンズが勝ってると、そちらを見る時間が延び、負けてると、すぐに執筆にとりかかられるとか。今年はもうシ−ズンオフに突入してますが、ドラゴンズの調子次第で、来年の三国志の進展状況が変化するかも?あくまで冗談ですが。 3,構図 梁冀(などの悪党。玄謀を知る者は名君。知らない者は、梁冀の如し)と清流派。その間を右往左往する宦官。そういう感じで書いたそうです。 宦官=悪という安易な考えはしていません。『重耳』で出てきた閹楚を例に引き、宦官は、もともと強い者である、という事にも言及しています。 4,今後 近く、曹操24歳の場面が描かれる様です(近く、といっても、いつかは分かりませんが)。そして、董卓も登場します。辺境の視点からも描かれるそうですので、『蒼天』で描かれた様な、強烈な董卓が期待できそうです。
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