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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
56:★ぐっこ 2002/11/11(月) 00:04 >黄巾の乱以前に、こんなにも乱が頻発していたのか 逆に言うと、黄巾の乱がどれだけ凄絶な規模のものだったかが 伺えますよね…。 乱…というより、小規模の乱や寇禍の類は、殆ど日常的に続発し、 それを制圧する西方部隊というのは、後漢後期からやや特殊なポジション にいたカンジで…。董卓の特異性なんかも、そのあたりから説かれそうで 嬉しい限り! そしてその前の騒ぎである党錮がいよいよ…。楽しみ〜!
57:左平(仮名) 2002/12/10(火) 21:03 ◆党錮→党錮、羌と侠 今回の宮城谷三国志◆ まずは、あらすじから。 宦官達による清流士人の弾劾は、結局のところ、なかば失敗に終わります(第一次党錮の禁)。終身禁錮とする事で朝廷から追放したものの、彼らに名を成さしめたわけですからね。追放された方に世間の同情と尊敬が集まり、政府の存在意義をも疑わせる様な状態になったわけですから、結果の如何にかかわらず、王朝の命運は尽きようとしている、と言えるでしょう。そんな中、桓帝は崩じます。「怠惰」の一言で片付けられる「桓」帝。子作りにさえ怠惰だったのか?とツッコミ入れられる「桓」帝…。こりゃ、あきませんわ。名と実が全く合っていませんもの。 で、迎えられたのが霊帝ですが、彼の賢愚のほどは、今回の時点ではまだ判然としません。そもそも、然るべき皇族自体が払底していたというのですから。こんな政権を担当する、大将軍・竇武。お疲れ様です(皇太后となった娘も、ろくな人物ではない様で)。李膺・陳蕃を復帰させるのも当然でしょう。そして、宦官打倒の計画を練りますが、皇太后にはその意味が分からないまま、天文が乱れたその日、ついに!事件が! 話は変わり。今回、三国志を語る上では欠かせないあの男が、ついに登場します。「二つの弓袋を身につけ、馬を疾駆させながら、左右から矢を射る」あの男! 「へそに灯心をさされ火をつけられた」あの男! 「蒼天航路では、髪と鬚が矢印」の、あの男です! 今回の彼を語るキ−ワ−ドは、「羌」と「侠」。後に悪逆非道と呼ばれるその所業は、あるいは、抑圧され続けた羌族への思いの故か?というところが、含みを残します。 俗悪に描かれた演義。とにかく強烈な悪の存在感を示した蒼天。そのいずれでもない描かれ方が為されるのではないか。そんな期待が持たれます。 私事:「牛氏」での設定、要変更ですな…。
58:★ぐっこ 2002/12/12(木) 00:10 何いっ! もう今日でそこまでいくですか!? 第二次党錮が始まるのか…っていうことは!張奐たん主演まで秒読み! 李膺や竇武の子弟の脱出劇もあるでしょうね〜。楽しみ… で! いよいよ三国志の大物達が続々オンステージ! なるほど〜。単純な「悪」ではない描き方ですか…明日確認します!
59:左平(仮名) 2002/12/16(月) 22:06 実は、今月の文春には、宮城谷氏と白川静氏との対談も収録されています。お二方とも、大変な勉強家です。こんな事が、実にさらりと書かれています。 @宮城谷氏と白川氏が初めて会った時、宮城谷氏は、膨大なノ−トを見せ、白川氏を驚かせたそうです。そのノ−トには、白川氏の研究が細かく記されていました。…ところが、この時見せたノ−トというのは、実は一部。全部積み上げると、腰ほどの高さになるとか。 A以前の宮城谷氏は、結構テレビをよく見ていたそうです。しかし、白川氏の著作に出会うと、「三年、庭も見ず」というほどに読書されたそうです。座って読むのが長かった為、くるぶしに水(?)が溜まったとか。 B1960年代、大学紛争が各地でありました(東大・安田講堂の攻防などが有名です)。白川氏の在籍する立命館も例外ではありませんでした。当然、研究どころではないのですが…。そんな中、S教授の研究室は、いつも夜遅くまで明かりがついていたとか。こんな状況においても、研究を続けていたのです。S教授が誰であるかは、言うまでもありません。 この対談は、三国志とは直接の関係はありません。でも、連載中であるだけに、話の中でちょこちょこと三国志について触れられています。
60:★ぐっこ 2002/12/17(火) 01:04 [sage] うーむ…。 さすがというべきか…たとえば自分を省みて、そこまで何かに集中したことが あるか自問しても、まず思いつきませんねえ… 宮城谷先生本人も仰ってましたが、作家や研究者たる者、やはり超人的な偏執僻 あるいは執念、といったものが必要なんだなあと。 文才も大事ですが、それよりも大事なことが、最後までやり遂げること、だそうで。 その対談も面白そう…
61:左平(仮名) 2003/01/11(土) 01:02 ◆第二次党錮の禁 逆境の名士達 今回の宮城谷三国志◆ 前回から続き、竇武・陳蕃対宦官の対決から始まります。 人望厚い二人であるだけに、偽の詔書によって賊扱いされても、容易には屈しません。しかし、腐っても鯛、偽でも詔書は詔書。兵力差は広がり、ついに力尽きます。 張奐、よりによって竇武に引導を渡す役回りになるとは…。これで、名声も地に落ちてしまいました。出世はしても、これでは甲斐なしです。 二人を血祭りにあげたのみではまだ足りないか、宦官達による弾圧は続き、ついに、第二次党錮の禁、あるいは、宮城谷氏いわく「建寧の大獄」が始まってしまいます。 前回は助かった李膺・范滂達も、次々と獄死します。范滂と子との別れは、切ないものがあります。 こんな時代にあっても、清くあろうとする人々はいます。郭太【または泰】(字は林宗)がそうです。 彼の墓碑銘を書いたのは、あの蔡ヨウ【巛+邑】。劉備の師匠・盧植も登場します。 そして、いよいよ若き曹操について語られ始めます。
62:左平(仮名) 2003/01/11(土) 01:19 今日は、ちょっと残業してました。帰ってから食事をとって風呂に入ってたら…「りゅうぜんず」さんの方が、先に紹介なさってました。
63:★ぐっこ 2003/01/13(月) 12:01 とうとう二次党錮がはじまりましたかー! …って連載始まってどれほどの時間が経過したのか(^_^;) いまだに三国志の カケラもない…。 「先代の英雄」たちがあらかた舞台を去って、ようやく曹操達にスポットライトが 回ってくる様子。楽しみ〜。
64:左平(仮名) 2003/02/10(月) 22:42 ◆若き曹操(たち) 今回の宮城谷三国志◆ 今回、だいぶ三国志らしい感じになってます。曹操、孫堅、劉備の三英傑は言うに及ばず、袁氏、盧植、公孫サン【王+贊】、さらには司馬懿の名も。といっても、物語はまだ黄巾の乱以前ですが。 少年・曹操は、橋玄に認められます。その上で、許子将に評されて、世に名を知られるわけです。このあたりは有名ですが…。 さすがは宮城谷氏です。意外な盲点を指摘されています。 1,橋玄は、高句麗を討伐したとあるが、『三国史記』(朝鮮三国【高句麗、百済、新羅】時代を記した書物)には記載がない。 2,許子将と曹操の年齢差は小さい。(橋玄と知り合った当時)十代の曹操を評した時、許子将は二十代前半ではなかったか。 そういえば!です。しかし、『三国史記』にまで目を通されているとは…。 その頃、孫堅は自らの勇気と機知により出世の糸口をつかみ、劉備は一族の支援を受けて盧植門下に入ります。遊び歩いた劉備に「哀しさ」をみたというのも、初めてではないでしょうか。 …このあたり、『蒼天』とは明らかに異なる物語になりそうです。 一方、中央はといえば、相変わらず。批判勢力に手を焼いた宦官達は、ついに猛将・段ケイ【ヒ+火+頁】を使い、弾圧にかかります。彼については特に言及していないあたり、個人的には少し気になります。 そして、宋皇后失脚に連座する形で謹慎する曹操に、一つの出会いが!
65:★ぐっこ 2003/02/13(木) 01:37 むう、ようやく三国志(;^_^A やや…今日はちょっと眠いので寝ますが…許劭と曹操の年齢差なんか 考えたこと無かった! んー…でも、曹操が少年時代の頃から月旦じみた ことやってるはずだし…案外、当時のアウトローだったのかな? 橋玄も含めて、調査せねば… あと、劉備も登場か…。宮城谷作品だと、どう描かれるのだろうか…楽しみ。
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