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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
168:左平(仮名) 2005/11/11(金) 00:46 今日(日付上はもう昨日ですが)は蒼天の最終回。こちらはおいおい書き込むとして… 今回のタイトルは「下邳」。まずは、曹操vs張繍の第二ラウンドから始まります。 曹操と賈ク【言+羽】。二人の知略がそれぞれ冴えを見せており、なかなか読み応えの あるところです。 劉表はどう動くか。両者、その様子を見ながら戦いが始まります。このあたりは、中小 勢力たる張繍の側にとってより切実。賈ク【言+羽】は、あえて援軍を頼むことは せず、自勢力の存在感を示しつつ戦力の損耗を避けます。 この時点では各地に敵のいる曹操は、長期戦は避けたいところ。そこに、田豊が袁紹に 許都攻めを勧めたという話がありましたから、戦況は決して不利ではないものの、撤退 する事になります。 ここからが両者の凄いところ。まず曹操は、前後に敵がいる形になりながらも、通常の 数分の一というスローペースで行軍しつつ、「軍を消す(隠す)」という奇策をとり、 追っ手を大破します。その後は急ぎ帰京。 一方賈ク【言+羽】は、最初の追撃は必ず敗れる事を、次の(敗走後の)追撃は必ず勝 利する事を張繍に告げ、結果はみごとその通りに。 ここで、何ゆえそうなったのかと聞く張繍に対する回答は至って誠実なもの(いくら何 でも、あなたは曹操には劣る、ってはっきり言い切りますか、普通)。 …そういえば、三国志「T」の時の賈ク【言+羽】って、顔グラがけっこう穏やかそう な感じだったんですよね。 その戦いの後、曹操にとっての主敵は呂布になります。タイトルのとおり、後半は呂布 攻めです。 ここで、高順達が語られます。「陥陳(陣)営」の異名を持つ高順はまさしく名将。戦 えは必ず勝ち、欲は少なく、忠義に篤い。呂布にとってこれほど頼もしい配下はいない といってもいいでしょう。しかし、呂布は彼をいまいち信用しません。高順自身は呂布 に叛くようなことは何もしていないというのに…。 一方、あの兗州の攻防の後、曹操と呂布・陳宮とでは、その力量にどんどん差がついて いる様です。それは、前者が学び続けているのに対し、後者が学ぶのをやめてしまった からに他なりません。 宮城谷三国志においては、最終的に勝者となるのは「学び続け(、その結果成長し続け た)た者」という視点がある様です。 この戦いの中、呂布は愛する妻の言葉により陳宮の策の実行をためらい、動けなくなり ます。そんな中、配下の将達は…
169:左平(仮名) 2005/12/11(日) 21:59 今回のタイトルは「逐勝(勝ちに乗じて進む)」。 前回ラストからの流れのとおり、ついに呂布の命運が尽きる時が来ました。 …しかし、それは、予想以上に呆気ないものでした。 姻戚でもあった魏続に陳宮を拉致され、高順ともども、もはや為す術もなく 捕えられたのです。 呂布の軍事的才能は曹操にとっても魅力的ではありましたが、劉備の一言に よって引導を渡されます。そして陳宮は、この時点ではもう呂布に心服して いないにも関わらず、ただ曹操に対する意地から、自ら死を選びます。 この場面、曹操の方が未練たっぷりです。 この時曹操が得た人材として、袁渙、陳羣、それと復帰組の畢獅フ名が挙がって います(ここでは張遼には触れられていません)。 これで一つ厄介な敵を片付けた曹操。そんな矢先、河内に異変が。張楊が、 配下によって殺害されたのです。 勤皇の士にして温厚篤実な張楊は、呂布と親しく、陰ながら声援を送って いたのですが、もはや呂布の命運は尽きており、将来に不安を抱いた楊醜に よって…という経緯。 もっとも、楊醜もまたすぐに眭固に殺され、河内の情勢は流動的に。曹操、 この状況を逃さず、直ちに攻略にかかります。 ここは董昭の巧みな説得により、無血開城となります。そして、ここの太守 に任ぜられたのは…魏チュウ(禾+中)。 今回、曹操が才を重んじた例として語られる二人が揃い踏みという具合です。 もっとも、魏チュウ(禾+中)については、単に才能のみではない含みも。 一方河北では、ついに公孫瓚が最期を迎えます。…もうズタボロです。痴呆に なり妻子を手にかけて…というあたり、白馬義従を従えた頃の面影はいずこに ありや、ってな感じ。 彼に殉じた関靖、最期はきれいだったけど…こちらも酷評されてます。 いよいよ曹操vs袁紹というわけですが…何事につけても動きの鈍い袁紹、既に 後継者問題も絡んできて、課題は多し。 そんな中、突然の袁術からの使者。それは、袁術の破綻を示すものであったのです が…
170:左平(仮名) 2006/01/02(月) 01:35 日付は変わりましたが…新聞の広告欄に注目。 この9月に、宮城谷三国志の四・五巻が出るみたいです。 今のところ、一年分で一冊というぺースですから…今年の五月号あたりまでは 既に書きあがってるのかも知れませんね。
171:左平(仮名) 2006/01/10(火) 23:29 今回のタイトルは「密詔」。董承による曹操暗殺計画が語られます。 その発端は、意外にも劉備の存在でした。といっても、劉備が反曹操の急先鋒…など というわけでは全くなく、むしろ曹操が異様なくらいにそば近くにおいていることから (刺客として使える)と値踏みされた、という次第。 曹操にとっては劉備は全く異質の存在でした。衰亡しつつある劉氏にあって、ひとりしぶ とく生きながらえる様はひとつの奇跡。それゆえに近づけ、ついには彼を英雄と評するに 至ります。ただ、劉備はというと、曹操に対して別段恩義を感じるというわけでもなく、 その肚はさっぱり読めません。 劉備にとって、この暗殺計画(皇帝の密詔自体はちゃんと出てます)には二つの意味が ありました。 一つは、中央政界の生臭さを思い知ったこと。袁術討伐を理由に都を離れたのは、単に 曹操に叛旗を翻すためだけではありません。 もう一つは、自分を相対化させる存在−曹操−を知ったことで、自らの位置づけがより 明確になったこと。今上も自分も、もとをたどれば景帝に至る。ゆえに、皇帝とて全く 届き得ない存在ではない。中央を離れ自立するのよし…。 劉備が去った後も、董承は曹操暗殺計画を進めますが、その計画は粗雑。徐他については 許褚の胸騒ぎという予測不能の要因による失敗でしたが、こちらは失敗するべくして失敗 したという書かれ方です(何より、悪政をしていない曹操を殺して、さてどうするのかと いうビジョンがないのでは…)。 事件が片付いた後、曹操は、皇帝を半ば無視するようになります。 ただ、今回、皇帝の真意というのがどうも読めないんですよね…。 袁術は、今回で滅びました。何とも呆気なかったです(それはそうと、本作では「喀血」 したとあるのですが、三国志も後漢書も「嘔血」とあります。喀血・吐血・嘔血の意味は それぞれ微妙に異なるはずなのですが…)。 徐州で自立を図った劉備を逐い、曹操は、ついに袁紹との決戦に臨むことになります。 蛇足:挿絵は村上豊氏が書かれてますが、今回は妙に個人的にはまりました。英雄同士の 対面というのに、何だか、いしい御大の「最底人(↓)」みたいで。 あほ〜〜〜っ! \ / \ / lV:)* lV:)* lV:)* lV:)* いしいスレで見つけたAAです。
172:左平(仮名) 2006/02/12(日) 19:55 今回のタイトルは「対決」。いよいよ、官渡の戦いに突入します。興味深い記述が多く、 金曜に一度読んだのですが、再度読み直しましたよ。 まずは袁紹側の動き。このような非常時にあっても、この陣営の宿痾とも言うべき派閥 抗争(と言っても郭図が一方的に沮授を嫌っているという感じ)が生じています。 しかし、双方の主張を聞いてみると、実は両方に理があるという不思議な状況でもあり ます。 この時主戦論を唱えたのは郭図・審配、慎重論を唱えたのは沮授・田豊なのですが…実 のところ、曹操が脅威であるという意味では同じ認識に立っているのです(慎重論者は 公孫瓚との戦いで疲弊した河北の回復を待つべきであると主張。一方、主戦論者は、曹 操がその間に何も手を打たないはずはない【故に機先を制するべし】と主張します。兵 は拙速を聞くも〜ということを考えると、果たして、どちらが良かったのか迷うところ です)。 結局は、どちらの論をとるにしろ、袁紹は明確な決断を下すべきであった。ぐずぐずと 決断を下すのが遅れたため勝機を逸した…というところです(内心では曹操との決戦を 望んでいたのに行動はちぐはぐになっています)。 これ、職場ではヒラの私にも痛い指摘ですね。ましてや組織の頂点に立つ者であれば、 なおさら堪えるかと。 逡巡の末に出師を決めた袁紹。しかし、それにあたって諌言を呈した田豊を投獄すると いう愚を犯します。彼らの忠誠心は疑いようのないものなのですから、いざ決戦となれ ば、慎重派といえども勝つ為に最善を尽くすべく尽力するというのに…。 ともかく、河水を挟んで両者は対峙します。そして、白馬の戦い。 関羽・張遼vs顔良。名だたる勇将同士の夢の競演…というところですが、実はそうは なりませんでした。しかし、これまでの三国志とはまた違った描かれ方で、そこがまた 何ともたまらない名場面なんです。 呂布の描かれ方もそうですが、ここでの関羽、イメージががらっと変わりますよ。いつ の間にこのような変貌を遂げてたの、ってな感じで。義に篤い勇将というだけでなく、 少なからぬ知性も感じられます。 あの項羽にも劣るまい、ってな賛辞はちょっとニュアンスが異なる様な感じはあります (項羽というより…生還した専諸の方が近いかな)けど。 長くなったので、続きます。
173:左平(仮名) 2006/02/12(日) 19:56 先の書き込みの続き もちろん、このために劉備は危うくなるわけですが…そこはそれ、逃げ足の速さが売り なだけに、何とか切り抜け、いつの間にか曹操の後方に回ってます。 となると…曹仁の活躍も見逃せません。蒼天では、この時点ではまだまだ未熟ですが、 ここではもう堂々たる将帥です(でもビジュアルは蒼天バージョンのまま。ほんとあの 絵は強烈ですわ)。 なお、文醜の方は…何ともそっけない記述でした。ただ、この場面において、恐怖心を 利用して一気に士気を高める曹操の采配は見事の一言です。 一方、荊州の劉表は、と言うと…北の決戦をよそに傍観拱手を決め込みます。ただ、一 見妙手のように見えて、実はこれ、大失策。 『漁夫の利』というのはしょせん詭弁。ここは旗幟を鮮明にした方が良かったのです。 (ここまで書いてて、いしい御大の忍者ネタが思い浮かびました。藩内の醜い派閥抗争 に対し、どちらからも恨まれたくないと中立に立った結果、どちらからも恨まれた…) 韓嵩を使者として派遣しますが、韓嵩が危惧した通りの結末になるあたり、劉表もまた 袁紹と同類でした。でも、その破綻は、ここではまだ顕在化はしていません。 長い戦いはついに全面対決の様相を呈します。兵力に優る袁紹(兵力差については、曹操 の勝利をより鮮明にするための修辞という指摘がある一方、自らの意思をすみずみにまで ゆきわたらせようとすれば過度の大軍は率いないだろうという指摘もありますので一概に は言えませんが、それでも倍くらいはあったのではないか、とのこと)が押し気味に進め ますが…ここで、思いがけない事態が発生します。 許攸の…
174:左平(仮名) 2006/03/12(日) 21:38 今回のタイトルは「官渡」。三国志における一大ターニングポイント・官渡の戦いに決着がつく時がきました。 あの白馬義従を打ち破った強烈な弩の一斉掃射が曹操陣営に襲い掛かります。反撃しようとしても、相手の方が 物量・精度において上回るため、劣勢を挽回するには至りません。 (射程距離が半里余りといいますから、200m以上ですね。何かのスレで見たのですが、戦国時代末期の火縄 銃の射程が約120mだったそうですから、その威力のほどがうかがえます) さすがの曹操も弱気の虫が顔をのぞかせ、許で防御を固めようかとの書簡を荀揩ノ送りますが、荀揩フ叱咤激励 を受け、気を取り直します。 (俗に「岡目八目」と言いますが、ここでの曹操と荀揩みると、その言葉がよく当てはまっている様ですね) ここで考え出されたのが「発石車」。弩よりも射程距離が長く、かつ、殺傷能力が高い新兵器です。何基くらい 作られたのかは分かりませんが…ともかく、天から岩が次々と降ってくると考えると、敵にとっては一大脅威。 岩の雨を避けようとすると弩の殺傷能力が激減しますから、互いに距離をおいてのにらみ合いとなり、戦いは膠 着状態と相成ります。 地下での攻防はありましたが、袁紹側の策を曹操がはね返すという感じで、決め手とはなりません。 こうなると、どちらかに隙が出来た方が負けとなります。この点、曹操にはツキがありました。背後を衝く恐れの あった唯一の存在・孫策が急死したのです。 経緯については、このスレを御覧になる方々にはご存知の通りですが、その雄々しさ・苛烈さと一方での呆気なさ には、どこか織田信長に似た雰囲気を感じました。 なお、劉備については、関羽の件がありますから袁紹の許を離れましたが、こちらは小勢力ですから背後を脅かす というほどではありません。劉表は中立という名の傍観ですし、その他の勢力は言わずもがな。 一方で、大軍であるだけに兵糧の消耗も大きい袁紹は、その集積地を烏巣に置いていたのですが、ここが隙となり ました。 ここを守るは淳干(う…「ウ【迂−しんにゅう】」が出ないっ!)瓊。要地を任されている訳ですから決して小さい 将器ではなかったのでしょうが、許攸の情報をもとに攻めてきた曹操の軍勢を見ても軽く蹴散らせると見くびって いたのです。 こうして、袁紹は、顔良・文醜・淳ウ【迂−しんにゅう】瓊といった将器、大量の兵糧、それに、万を越える兵(烏 巣の救援を提案するも容れられなかった張コウ【合β】・高覧がそのまま降ったため)を一挙に失い、壊走しました。 それにしても、許攸の情報の真贋の見極め方といい、張コウ【合β】を受け入れる時の言葉(微子啓や韓信をたとえに出してます!)といい、大量の書簡を発見した時の対応といい、曹操、見事の一言です。 人並以上に策謀を弄しながらも、一方で、誠心を持って人にあたるという姿勢を取れているからでしょうね。 とはいえ、まだまだ袁紹は健在。荊州にも一瞬目移りしたものの、諌言を受けてこの誘惑を振り切り、次なる戦いに 臨むことになります。 今回のラストに、久しぶりの名前―趙雲が登場しました。正式に劉備配下になったのです。「それ(趙雲がひそかに 募兵した)ゆえ、劉備のもとには数百の冀州人がいる」。…何か含みがあるのでしょうか。
175:左平(仮名) 2006/04/13(木) 22:41 今回のタイトルは「ギョウ【業β】県」。官渡の戦いから、はや数年が経っていますが、 今回は、ギョウ【業β】攻略がメインとなっています。 建安七年。曹操は、郷里であり、若い頃隠棲していたショウ【言焦】を訪れていました。 住民の歓待を受けにこやかな顔を見せつつも、心中にはふと一抹の寂しさがよぎります。 「あの頃描いていた未来とは違うかも知れないが…過去を振り返ることはできない」。 覇業に向けての歩みはおおむね順調ですが、苛烈な生の中にいる自分を、しかと認識して います。 既に四十の半ばを過ぎました。知命(五十歳)ももうすぐ。おのずと自省に意識が向いた のでしょう。 しかし、その時は呆気なく敗れます。袁紹が亡くなったのです。 その長子・袁譚は青州の、次子・袁熙は幽州の刺史として出されていましたから、父の許 にいた末子・袁尚がすんなりと跡を継ぐ格好にはなったのですが…とはいってもただでは 済みませんでした。 (袁譚・袁尚とも、器量は父にも劣っている様に描かれていますが、本作においては、袁 譚の方がまし、みたいな感じです。袁譚は自省に甘さがある【それ故、配下の質も低い】 のですが、父の跡を継いだ直後に袁尚がみせた冷酷さ【父の愛妾の家族を皆殺し】はない ということ) 曹操という共通の敵がいながら、両者は相戦うことになります。まずは、勢力にまさる袁 尚の方から仕掛けました。ギョウ【業β】の堅い守りを頼りに、曹操に攻められるより先 に…というところなのでしょうが、決着はつきません。 袁譚は袁尚に近い逢紀を殺し、袁尚(というか審配)は袁譚に近い辛評を捕え…という具 合で、配下の人材をも消耗する有様。 当然、曹操がこのような好機を逃すはずもありません。ギョウ【業β】の攻略そのものは けっこう時間がかかりましたが、その間に着々と周囲を攻略し、自身の勢力の涵養に努め ています。 (程Gの胆の太さ、あの曹操がいったん思考停止して意見をそのまま受け入れる荀攸の頭 の回転の速さ。配下がその手腕を存分に振るえる環境づくりの能力の差は大きいですね) 袁譚が(本心ではないのは明らかながら)曹操に降ると、袁尚はいっそう苦境に立たされ ます。ギョウ【業β】は孤立無援になり、蘇由、そして審栄が裏切ることで、ついに陥落 しました。 ここでの審配の最期は、どこかやるせないものがあります。前々回での彼は、「所与の条 件下で最善を尽くす」ってな感じでけっこう格好よく思ったのですが、今回は、どこか醜 悪な感じがしてなりませんでした。 審配自身は変わってはいないのでしょう。しかし…落城に際し、囚われている辛評(及び 一族)を殺したら、処刑されるにあたって自らの忠義を誇るついでに人を罵ったりすると いうあたり、どこか哀しいものがあります。 なお、今回は劉備の動きについての言及はなし。ラストはあの美女の登場でした。
176:左平(仮名) 2006/05/14(日) 00:11 今回のタイトルは「袁譚」。全部とはいかないまでも、今回のかなりの部分が彼の最期に至る過程です。 鄴を陥とし、冀州をほぼ制した曹操は、冀州牧となります(兗州牧は返上)。自らかの地を治めることと したのは、地の利に甘えず、人を治めることこそ肝要と考えたがゆえのこと。 (一方、袁紹は地の利に甘えた感あり。「(山河の天険や玉璧よりも)人こそが宝」というのは、古典を 読めば分かることですが、実践はなかなか難しいようで…。「袁紹は学問をしたことがあるのかな」と いう曹操の呟き、よく考えるとかなり痛烈です) (袁紹のもとには名士がたくさんいたわけですが、活用していたとは言い難いだけに、名士もただの飾り に過ぎぬ、というあたり、虚名に対しても辛いです) そんな中、曹操に降ったことで一息ついた袁譚は、袁尚との戦いを優勢に進める一方、近隣の郡県を攻略 するのですが…曹操がこれをどう思うか、という認識がなかった(若しくはどうにも甘かった)ようです。 これは、名門に生まれた驕りのゆえなのか、彼に(影響を与えられる)諌臣がいなかったゆえなのか。 戦略においては策を弄するも、人と人との契約については偽りを許さない苛烈さを持つ曹操にとっては、 これは、袁譚を滅ぼす格好の名目でした。 この戦いは、曹純、曹休、曹真といった曹操一門の将器を試す絶好の機会でもありました。(今回名前の 挙がらなかった于禁以外の)いわゆる「魏の五将軍」や李典、それに張繍(猛将との評価!)も登場する など、曹操配下武人のオールスターキャスト勢揃いといったところ。一方で、参謀達の出番は特にありま せんでした。小細工無用、ということでしょうか。 袁譚も懸命に抗戦し、血路を開かんと奮闘しますが…最期は存外呆気ないものでした。 ただ、それでも、王修のように、影響は与えられないまでも諫言を呈することのできる配下を持ち、かつ それを虐げたりしなかっただけ、袁譚は、人としてはまっとうだったと言えるかも知れません。 感情移入まではしませんが、ほんのちょっとのことで、生き残れたかもしれないのにな…というところも あります。
177:左平(仮名) 2006/08/25(金) 20:49 [sage] ここ最近、別アドレスに書き込んでるみたいですので…こちらに 書き込みます。 177 : 左平(仮名) 投稿日:2006/06/12(月) 23:32 今回のタイトルは「高幹」。前回に続き、袁氏勢力の減衰過程が描かれる格好です。 壷関攻めに派遣された楽進と李典。自信たっぷりな言動をみせる楽進に疑問を抱く李典ですが、 楽進も、伊達に大口をたたくわけではありません。数多くの戦いに参加し、戦場という場を知悉 しているがゆえの強気です。 実際、いざ戦いになると、奇策等はありませんが、的確に相手の出方をみてとって然るべき対応 をとります。李典にとっては、何となくうまが合わない(理解できない)のですが、しかし、以 降も長くコンビ(あるいは張遼とのトリオ)を組むのですから、不思議なものです。 さて、壷関は関と城から成っている(そういえば、ゲームでもそんな感じだった様な…)のです が、上記の戦いによって、高幹は城に押し込められる格好になりました。こうなると、身を守る 城が却って枷になります。 袁氏は地を重んじたが、それゆえ地によって死ぬ(思考が退嬰的になるという含みがあります) ことになる。曹操の認識は確かです。 逆に、それゆえ、一切のものに―地のみならず妻子・部下にも―とらわれない劉備が不気味に感 じられる、と。 高幹も最後の抵抗を試みますが、既に孤立無援に陥っており(匈奴単于に協力を求めるのですが 高幹についたところで得るものはなし。それでは利に聡い彼らを動かせるはずもありません)、 結局、脱出を試みたところで殲滅されました。袁譚の最期とよく似ています。 荒廃した并州をどう治めるか。ここで梁習の名が挙がります。高幹の秕政による荒廃であるだけ に、優れた行政官が何より必要だったのです。 既に、(同僚の王思の提出した建白書の件で)その気骨を認められていた梁習は、これまでの任 地と同様、目覚しい成果をあげてみせました。 こうして、并州の平定も完了。徐州・青州の海賊も退治し(ここも楽進・李典コンビが活躍)、 さて次は…?
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