★『宮城谷三国志』総合スレッド★
184:左平(仮名) 2006/10/15(日) 21:15AAS
>追加したんじゃないでしょうか?
恐らく、そうでしょうね。しかし、いしいひさいちキャラの藤原センセならともかく、宮城谷作品で増補改訂
があったというのは、なかなか面白いものです(とは言え、雑誌への連載時から読んでて、かつ、その記憶が
あるのは本作と風は山河よりくらいなんですけど)。

今回のタイトルは「長阪」。

前回のラストでちらりと司馬懿の名が現れましたが、今回、前半部分でそのあたりの経緯が描かれてました。
兄・司馬朗の友人である崔琰(直言が好きですな、この御仁)に高く評価された彼は、この頃に出仕。病と
佯っていたところ刺客に襲われ…といった『晋書』でのエピソード(妻の張春華のことは、今回は書かれて
ません)を書きつつも、周辺の人間関係等からこれを疑問視されています。
この時点では地味な一官僚たる彼ですが、先祖には名将(巴蜀を制した司馬錯等)もいるだけに、文武兼備
を自負しています。

曹操による荊州攻略に先立ち、まずは、涼州の鎮撫がなされます。馬騰・韓遂が相争うのを鍾繇が調停し、
続いて、張既の説得により、馬騰が入朝します。これにより、一応収まります。欲を言うと、曹操にとって
ベストだったのは、馬超をも入朝させて涼州の私兵軍団を解消することでしたが、さすがにこれは酷という
もの。こちらは、しばし後回しとなります。
 張既の若い頃のエピソードが紹介されています。彼の才を見出した功曹・游殷とその子・游楚です。游楚
 の方は、あまり曹操好みという感じではない鷹揚な人物という扱いですが、なかなかの器量を持った親子
 です(游殷を死に追いやった胡軫は、三国志全人名事典では董卓配下の胡軫とは別人という扱いですが…
 どうなんでしょう)。

曹操の圧力が迫る中、劉表は世を去ります。父の危篤を知った劉Kは直ちに駆けつけますが、蔡瑁・張允に
阻まれます。そして、劉Nが跡を継ぎ、曹操に降る決断を下します。
 劉Kを阻むのは演義等と共通しているのですが、ここでの蔡瑁・張允の描かれ方は、かなり異なります。
 蔡瑁は、荊州のため、「政治的判断として」劉Kを阻みます。そこには私心はなく、去り行く劉Kに対し
 「どうかお宥しを…」と詫びてさえいます。蒼天での蔡瑁も善人キャラでしたが、こちらはそれにプラス
 して忠臣キャラも入ってます。
 一方、蒯越は、器量は相当なものですが、さすがに老いたか、乱を好まぬ人物に。
 劉Nは、器量については父には少し劣ると言えますが、下手な妄想は抱かない分、まっとうな人物です。
しかし、この決断により、劉備達は見捨てられた格好になります。ここで荊州を乗っ取っては、という声も
あがりますが、劉備は、ここでも鮮やかなまでに捨ててみせます。
民が付き従うのは、徐州でのことがいまだに荊州では意識されている―劉表の政策の賜物でもある―ため、
ということからすると、必ずしも劉備の魅力によるものではないわけですが…しかし、それでも劉備に何か
魅力を感じるというのはなぜでしょうか。

ラストは、三国志ファンご存知の趙雲の大活躍。曹操をも感嘆させる奮闘振りですが、関羽以外にも「劉備
には過ぎたる臣」がいたことを、曹操は不思議に思います。
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