★『宮城谷三国志』総合スレッド★
196:左平(仮名)2007/10/29(月) 21:23AAS
三国志(2007年10月)

今回のタイトルは「馬超」。対馬超戦の決着がつきます。

兵糧の問題もあり、このまま戦い続けていても埒があかない。とはいえ、利無くして退くこともできない…。
ジレンマに陥った馬超は、ここで韓遂を使うことにしました。韓遂が曹操と面識があることから、曹操との
省31
197:左平(仮名)2007/11/24(土) 22:02AAS
三国志(2007年11月)

今回のタイトルは「法正」。劉備が益州に入ります。

最初は、前回の続き(曹丕が出陣しようというのを常林が諌めるところ)から。河北の情勢に明るい常林
が理をもって諄々と説き、曹丕の出陣を止めました。
省43
198:左平(仮名)2008/01/04(金) 23:22AAS
三国志(2007年12月)

今回のタイトルは「劉璋」。とはいえ、序盤に描かれているのは、孫夫人による劉禅拉致事件の顛末です。

最初から政略結婚とは承知していたものの、互いに全く心を許さない、冷え切った夫婦。一応、孫夫人の
方は美貌の持ち主とはなっているのですが…これではどうにもなりません。
省44
199:ぐっこ@管理人 ★2008/01/16(水) 00:34:07 ID:Vd96TbmiAAS
記念ageヽ(´∀`)ノ!

左平(仮名)様ありがとうございます(´;ω;`)ブワッ
200:左平(仮名)2008/01/18(金) 22:56:48 ID:PN7pBVAMAAS
三国志(2008年01月)

今回のタイトルは「成都」。今回、成都にはまだ届いていないんですが…?

益州攻略戦は、まずは順調なスタートを切りました。劉備自身も、珍しく(?)羽目を外して龐統に諌め
られるという場面もあります。
省29
201:左平(仮名)2008/01/18(金) 22:57:55 ID:PN7pBVAMAAS
続き。

綿竹を落とし、次は雒。守るは、劉璋の子・劉循。賢愚定かならざる人物ですが、彼の守る雒は容易には
落ちませんでした。それまでの進撃が順調だっただけに、ここでの停滞は想定外。龐統は焦り、それが、
彼の命取りになりました。

省23
202:左平(仮名)2008/02/09(土) 22:53:54 ID:LaQXGTavAAS
三国志(2008年02月)

今回のタイトルは「天府」。劉備が、ついに益州を確保しました。

成都を包囲すべく、劉備勢の諸将が続々と集結してきます。中でも、最も活躍したのは張飛。何といって
も、厳顔を賓客として迎えたという事実が彼の成長を物語っています。
省25
203:左平(仮名)2008/02/09(土) 22:54:30 ID:LaQXGTavAAS
続き。
いきなり荀ケの死が語られます。しかも、拍子抜けするくらい、あっさりと。曹操が公に就任するのに反
対していた、曹操から贈られた箱の中身が空だった、この二点の事実以外をあれこれと語るのは贅言では
ないか、そんな感じの書かれ方です。
董昭を切れ者と書き、曹操の公就任の理由に合理性を認める(朝廷が、皇帝のおわす許昌と曹操がいる鄴
に分かれていては権力が二元化してしまうので鄴に実権をシフトさせて…ってな感じの理由づけ。なので
省12
204:左平(仮名)2008/03/14(金) 23:21:13 ID:licQjHddAAS
三国志(2008年03月)

今回のタイトルは「張遼」。この名が出てくるということは、そう、あの戦いですね。

まずは、劉備・孫権の睨み合いから語られます。劉備が益州を獲ったことに対して、孫権は相当な不快感
を抱き、諸葛瑾が遣わされます。
省26
205:左平(仮名)2008/03/14(金) 23:22:26 ID:licQjHddAAS
続き。
かくして、張遼・李典とが八百の決死の士を率いて、夜明けとともに出撃しました。
「ゆくぞ」
宮城谷氏の描く勇将達には、無駄なりきみというものがありません(そういえば、文章中に「!」が使わ
れることが全くといっていいほどありませんね)。ここでの張遼も例外ではありません。
余りにも少数だが脱走兵のように無秩序ではない。「敵将の内通か」そう思う者がいてもおかしくはない
省20
1-AA