★『宮城谷三国志』総合スレッド★
238:左平(仮名)2009/07/25(土) 02:18:52 ID:wQjkGeU20AAS
続き。
自らの提案が却下されたことに不満を持つ魏延。しかし、諸葛亮の次の言葉に、さらなる衝撃を受けます。
「先鋒は馬稷」
この選択についての宮城谷氏のコメントはかなり辛口です。こと軍事面に関しては、諸葛亮は袁紹と同程度である、と。
行政面についてはまさしく名宰相である彼も、万能ではありませんでした。
もし、この時、黄権のような人物がいれば…。この頃から、蜀漢は人材不足に悩まされていました(魏延の提案を却下
したのも、前哨戦ともいえる段階で蜀漢随一の勇将・魏延を失うようなことがあったら…という危惧があったのかも知
れません)。

ともあれ、こうして、蜀漢の軍勢が動き始めました。

しかし、慎重な行動というのは、一方で、意外性に乏しく驚きをもたらさないものでもあります。蜀漢が仕掛けてきた、
といっても、策に乏しい正攻法での攻撃では、将兵の質量にまさる魏に勝つことは至難の業。
曹叡の反応は、迅速かつ適切。直ちに、曹真や張郃といった大物どころを派遣してきました。こうなると、蜀漢は苦戦
を免れません。

蜀漢の進攻ルートから外れていたことを逆手にとり、逆に漢中目がけて進攻する曹真は、ここで趙雲率いる部隊と接触。
激戦となります。
「常山の子龍はまだ生きていたか」と強敵の出現に喜ぶ曹真。
「(若い頃のようにひとりで百の敵にあたるとまではいかないが)戦場はふしぎな力を与える」と感じる趙雲。
数と兵の練度にまさる魏軍がじりじりと押していく中、自ら後拒を担う趙雲。劣勢は覆せませんが、この危機をどう
切り抜けるか。

…今回の魏延の書かれ方をみると、名将とはいかなる人か、ということを少しばかり考えさせられたような。
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