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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
275:左平(仮名)2010/08/02(月) 00:48:02 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
諸葛亮と司馬懿の決戦は、完全に膠着状態。互いに負けない自信はありますが、うかつには動けません。蜀漢の全権を
握る諸葛亮はいくらでも待てますが、司馬懿はどうなのでしょうか。
…こちらも、いくらでも待てる状態でした。皇帝・曹叡自身が、決戦を急ぐ必要はないと判断していたからです。また、
使者として派遣された辛毗も、的確な戦略眼を持った人物ですから、ここは動くべきではない、ということを認識して
います。
省17
276:左平(仮名)2010/08/02(月) 00:49:11 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
丞相が重体に陥るまで、側近どもは何をしていたのか。丞相はまだ五十四歳。まだ二十年は働いていただかねばならぬ
というに…。軽い不快の念を抱く李福と面会した諸葛亮は、つとめて気丈に振る舞います。
体調は悪そうだが…と思いつついったん帰路についた李福ですが、側近たちの暗い表情を思いだし、直ちに取って返し
ました。丞相が再起できない、となると…
「どなたに後を継がせますか」
省15
277:左平(仮名)2010/08/29(日) 22:44:51 ID:???0 [sage ] AAS
三国志(2010年08月)
今回のタイトルは「孔明」。そのものずばり、の回です。
蜀漢の建興十二(西暦234)年八月。陣中に星が落ち…諸葛亮が薨じました。享年五十四。前回、体調を崩したのが
省20
278:左平(仮名)2010/08/29(日) 22:45:51 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
遺命により、撤退することは決定しています。楊儀が指揮を執り、費禕・姜維が補佐します。後拒は魏延。能力的には
何の問題もない面々ですが、それ以外のことで問題があります。
「楊儀と仲の悪く、かつ、戦意旺盛な魏延が、楊儀の指揮下で撤退することに同意するか」ということです。
ここは、楊儀・魏延の両者とまずまずの関係を築いている費禕が、魏延に、諸葛亮の遺命を説明することになります。
省18
279:左平(仮名)2010/08/29(日) 22:46:47 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
はたして、恐れていた通りの展開に。たとえ魏延の威厳に気圧されたためとはいえ、費禕は、魏延が魏軍と一戦する
ことに同意してしまったのです。
直ちに本陣に戻り、証拠となる文書は破棄したものの、署名したという事実は厳然としてあります。
こうなると、事は急を要します。本来であれば、異変を悟られないよう、粛々と撤退を開始するところですが、諸葛
省16
280:左平(仮名)2010/08/29(日) 22:48:00 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
魏軍は追撃を開始します(ただし、辛毗は、まだ諸葛亮の死に半信半疑ということもあってか追撃には慎重)。途中、
はまびしを踏んだ将兵が痛がるので簡易な下駄を履いた兵を先頭に立てるという奇観もありますが、このまま蜀の地に
入りそうな勢いを示します。
省19
281:左平(仮名)2010/08/29(日) 22:48:51 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
無論、魏延とて蜀漢への忠誠は持ち合わせています。我が討たんとするは楊儀のみ。これは謀反にあらず。そのような
文言の文書を都へ送り、自身の正当性を訴えます。
しかし…軍事的観点からはともかく、政治的観点においては、丞相の後継人事という問題もある以上、戦闘続行はあり
えないことから、都にいる蒋琬達は、楊儀側が正しい(諸葛亮の遺命に従っている)と判断します。
省18
282:左平(仮名)2010/10/03(日) 22:18:31 ID:???0 [sage ] AAS
三国志(2010年09月)
今回のタイトルは「増築」。星落秋風五丈原の次の回にしては…と思うタイトルですが、ちゃんと意味があります。
まずは、諸葛亮の死後の蜀漢の情勢が語られます。
省21
283:左平(仮名)2010/10/03(日) 22:19:56 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
この人事に不満を抱く者がいました。楊儀です。
先の撤退戦の指揮をとり、我こそは…と自負していたのですが、ポスト諸葛亮体制における彼の地位は、いわば閑職。
占いの卦は、「今はしばし雌伏の時」といった感じなのですが、この現実を受け入れられず、不満の塊となります。
(一応軍師という肩書なので、平時にあっては〜ということだと思うのですが…)
省18
284:左平(仮名)2010/10/03(日) 22:21:49 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
楊儀の自滅は、実は、彼が嫌った魏延と同種のものでした。有能ではあれど、己の狭量のため、他者と協調できなかった
ことが、破滅につながったのです。
ともあれ、彼らのような人材を生かしきれなかった蜀漢には、衰退の兆しが…という具合です。
省19
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