★『宮城谷三国志』総合スレッド★
364:左平(仮名)@投稿 ★2012/02/04(土) 02:30:09 ID:???0 [sage ]
続き。

ただし、あまりの大軍ゆえか魏軍に油断がありました。そこを、呉の歴戦の勇将・丁奉が突きます。僅かな兵で敢然と攻撃を
加えると、魏軍は存外あっけなく敗走。諸葛誕・胡遵の軍勢が敗走したと見るや、毌丘倹、王昶はすぐさま撤退。
諸葛恪は、労せずして大勝利を収めました。これにより、彼の呉国内での声望は絶頂に達します。

しかし、この大勝利は丁奉の勇戦によるものであり、諸葛恪には、自分が為したという実感が余りありませんでした。実感の
伴わない大勝利のゆえ、もっと戦果が挙げられたのではないか、という思いが日々強くなっていきます。
そして、ついに、再度の魏との戦いを決します。先の戦いから日も浅く、国内には厭戦気分が濃厚にあったのですが、これを
無視しての強行です。孫峻は、そんな諸葛恪に嫌悪感を抱きますが、ここではどうすることもできません。

もちろん、諸葛恪にしても、単独で魏とあたるのは危険すぎるということくらいは承知していますから、蜀漢との連携を考え
ました。使者が、蜀漢に赴きます。
これまで呉と蜀漢とが連携して魏にあたろうと試みたことは何度かあったのですが、いずれもうまくいっていません。蜀漢は
その成立の経緯からして、魏とは不倶戴天の仇敵ではあるのですが、諸葛亮の死後の軍事行動はやや控え気味です。呉の要請
があっても、動くかどうかは未知数でした。
諸葛恪に、それをどうするかといった見通しがあったのかは分かりませんが…この時は、うまくいきました。ちょうどこの頃、
蜀漢では一大事が発生していましたのですが、これが大きく影響していたのです。

続きます。
1-AA