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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
374:左平(仮名)@投稿 ★ 2012/04/01(日) 02:56:45 ID:???0 [sage ] 続き。 ここでの孫峻は、手際が良く、かつ容赦ありません。諸葛恪の死に動揺する一族を、あっさりと殲滅したのです。都を 遠く離れており、のんびりと過ごしていた諸葛融達も、例外ではありませんでした。 孫堅の弟・孫静の曾孫という微妙な存在であった孫峻は、こうして大権を掌握しました。 このクーデターにおいてはみごとな采配をみせた孫峻でしたが、その後は驕慢になります。聡明とはいえ、幼弱な孫亮 は、引き続いて、実力者に翻弄されることになります。 一方、魏では…。司馬師が大権を掌握しているわけですが、諸葛恪とは異なり、これといった失策はありません。です が、皇帝が軽んじられているのでは、と思い、密かに反発している人々がいました。 若くして呉にも名を知られる名士となっていた李豊も、その一人でした。かつて司馬懿と曹爽とが対立していた時には 両者から距離を置いていた彼は、その後もまあまあ順調な官僚生活を送っていたわけですが、呉でのクーデターの話を 知り、魏でも同様の(専横の振る舞いのある実力者を排除し皇帝に大政を奉還する)ことはできないか、ということを 考え始めました。仕事ぶりは不まじめ(欠勤が多い。ただし業務はきちんとしているので無能ではない)ですが、勤皇 の志はあるのです。 このままでは魏は危うい。そういう危機感を持った、皇后の父・張緝や夏侯玄といった人々が、司馬氏を排除すべく、 水面下で動き始めました。
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