下
★『宮城谷三国志』総合スレッド★
382:左平(仮名)@投稿 ★2012/06/04(月) 00:16:18 ID:???0 [sage ]
続き。
さて、皇帝を廃したとなれば、当然に、新たな皇帝の擁立が必要になります。では、たれにするか?
司馬師は、彭城王の曹據(曹操と環氏の子。曹沖、曹宇の兄弟)がよいと考えました。曹操の子ですから、既にかなりの高齢
でしたが、王として大過なく過ごしてきた思慮のある人物です。しかし、これは皇太后に反対されます。彼女は、曹操の孫・
曹叡の妃なのです。ここで曹操の子が即位すると、皇統に歪みが生じる恐れがありました。
※曹操の孫から子に戻る形になるので、そのまま曹據の系統で帝位が継承されると曹叡の祭祀が絶える。曹叡も正当な皇帝
なので、祭祀が絶えることは望ましくない。
また、皇太后より皇帝の方が世代が上になると、皇太后の尊厳が失われる。
司馬師の思い通りにはさせぬ…という意地もあったかも知れませんが、一理あります。ここは司馬師が折れる形となりました。
そして、皇太后が挙げたのは、高貴郷公の曹髦でした。曹叡の弟の子にあたる彼ならば皇統も保てますし、何より、皇太后と
面識があり、好印象を持っていたのです。
ただし、このとき曹髦は十四歳。幼弱とはいわぬまでも若年です。またしても若年の皇帝をいただくことに、司馬師は多少の
危惧を覚えます。
ともあれ、曹髦を迎えることが決まりました。曹髦とは、どのような人物なのでしょうか。
曹髦は学問を好み、夏の小康(中興の祖とされる)を尊敬するという、独特の感性を持った少年でした。それゆえに、自分が
帝位に就くことにも驚くことはありませんでした。父の王位を継いだわけでもないのに、帝位に就くことがあり得ると思って
いたというのですから、どこか神秘的なものが感じられます。
続きます。
上前次1-新書写板AA設索