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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
102:★ぐっこ2003/12/10(水) 22:42
二巻連続で読んだ!
何故か前巻があったので、併せて立ち読み。
個人的には、もうちょい董卓のキャラクターをネバっと書いて
頂きたいところですが、それでも各地の群雄の思惑カコイイ!
志摩子張邈さまが凡庸扱い…(´Д⊂ いや、実際張邈さまにしても
省12
103:★ぐっこ2003/12/10(水) 22:44
あと、鮑信と鮑韜兄弟もよかったなあ…。
曹操の初期の盟友。もし二人とも生きていれば、どれほど曹操の
元で活躍したか…。
でも鮑信も武官とは言え、筆より重いモノを持たない純文官タイプだったはずで
よくぞ負傷するまで奮戦したものと。
衛茲の場合は忘れ形見が立派に成長して名声を博しましたが(終わりイクナイ)、
省7
104:左平(仮名)2003/12/10(水) 23:37
おっと、先に書かれちゃいましたね。
ちょっと、年末年始に出すハガキを作成してたもので、こちらに
来るのが遅くなっちゃいました。
概要は、まさにぐっこさんの書き込まれたとおりですね。
この時点では、鮑信の方がむしろ冷静なくらいってのがまた。
省13
105:★ぐっこ2003/12/10(水) 23:56
忘れてた!(;´Д`)スコーンと。
なんか盧植の息子といい衛茲の息子といい、みんな似たような
キャラだなあと。
宮城谷董卓は、能力はともかく、その思考が意外に普通で、かえって
味があるんですよねえ…。そして、自分がそれほど嫌われていると思って
省7
106:左平(仮名) 2004/01/10(土) 23:40
さて、徐栄の前に大敗を喫した曹操は、曹洪に馬を譲られ、悄然とした面持ちで撤退します。
周ウらの協力を得て募兵には成功したものの、叛乱を起こされ、かえって減ってしまう有様です。
しかし、この勇戦が彼の存在感を示す事になります。
それにしても、この周ウ・周グ【日+禺】の兄弟、ここで曹操の器を見出してるのに、その後が冴えないんですよね…。周グ【日+禺】に至っては、『(将としての力量には乏しくないのに)死ぬまで負け続けた』なんて言われてますし。
募兵に携わっていたのに夏侯惇・曹洪・史渙の名が挙がっていますが、曹仁(168生)・夏侯淵の名が出てません。年齢的には、夏侯惇≒曹洪>夏侯淵≒曹仁ってな感じなのでしょうか。
省11
107:★ぐっこ2004/01/14(水) 00:34
読んだ!( ゚Д゚)
あーーー! なんかいい感じにこじれてきてますねえ、袁紹陣営。
鮑信出っぱなし(;´Д`)ハァハァ…個人的には張邈さまがアレなのがアレですが、
でも曹操裏切る伏線だからしようがないか…
あとは袁紹のキテレツっぷりもいい! 胡母班さま達を殺させる狭量っぷりが
省8
108:左平(仮名) 2004/02/11(水) 18:12
さて、遂に「無敵と思われていた」董卓の軍団を打ち破る男−孫堅−の登場ですよ!
当時の彼は長沙太守。数万の兵を集められる立場という事からすると、曹操より恵まれた立場
ではあるのですが、それを差し引いても快挙です。
挙兵に際し、王叡・張咨を殺害してはいますが、彼の履歴を汚すには至りません。
かえって、これによって袁術を恐れさせ、軍糧を得ています。
省25
109:★ぐっこ2004/02/14(土) 00:13
読みますた!
うーん、今回は何というか、堅パパファンデーの如く!
侵攻ルートの実力者を次ぎ次ぎと殺しながら北上する男っぽさ、
徐栄はともかくとして、胡軫、華雄、呂布を連戦でうち破る
戦上手さ! このへん董卓と轡を並べた頃のすごみがあってよい!
所詮その董卓の部下には負けっこないわけですな…
省8
110:左平(仮名) 2004/03/10(水) 23:12
妻を人質にとられた孫堅は、あっさりと玉璽を差し出しました。演義とはちょっと違います。
袁術も、これには上機嫌。孫堅は豫州刺史に任ぜられます。
当時、豫州刺史は孔チュウ【イ+由】でしたが、辞任し、その印綬を袁紹に預けていました。
後任として任ぜられたのは、周昂(周ウの弟)。
印綬を持つという点では周昂、朝廷に対する忠勤という点では孫堅。ともに、十全の正当性を
持たないだけに、決め手を欠き、激烈な争いとなります。
省23
111:左平(仮名) 2004/03/11(木) 21:23
今回書かれた袁紹と袁術の争い、もう少し詳しく書くと…。
反董卓連合が為すべき事も為さずにいる様をみた劉虞は、朝廷(≠董卓)に対する忠勤を示すべく田疇を派遣。
↓
田疇は、「状のル−トをとり、長安へ(幽州から西に向かい、そこから一気に南下。争乱の中にある中原を避けた)。
↓
省26
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