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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
106:左平(仮名) 2004/01/10(土) 23:40 さて、徐栄の前に大敗を喫した曹操は、曹洪に馬を譲られ、悄然とした面持ちで撤退します。 周ウらの協力を得て募兵には成功したものの、叛乱を起こされ、かえって減ってしまう有様です。 しかし、この勇戦が彼の存在感を示す事になります。 それにしても、この周ウ・周グ【日+禺】の兄弟、ここで曹操の器を見出してるのに、その後が冴えないんですよね…。周グ【日+禺】に至っては、『(将としての力量には乏しくないのに)死ぬまで負け続けた』なんて言われてますし。 募兵に携わっていたのに夏侯惇・曹洪・史渙の名が挙がっていますが、曹仁(168生)・夏侯淵の名が出てません。年齢的には、夏侯惇≒曹洪>夏侯淵≒曹仁ってな感じなのでしょうか。 しかし、袁氏の二人はもっと冴えません。いかに董卓に牛耳られているとはいえ、朝廷の命を受けて派遣された名士達(韓融・陰脩・胡母班…)を処刑したりしてます。 (韓融が、陰脩に逃げる様勧める際に、夏姫と巫臣の名を出してるのは、宮城谷作品だからでしょうか) そして、この有様をみて荀揩ヘ袁紹を見限ります。 袁紹は、進むもならず退くもならず、劉虞を擁立しようとします。ただ、これはいかにいっても弥縫策にすぎません。あの袁術でさえ、これにはまっとうな批判の書状を出してるくらいです。 さて、次回は、精強な董卓の軍団を打ち破る勇将が登場するはずです。楽しみ!
107:★ぐっこ 2004/01/14(水) 00:34 読んだ!( ゚Д゚) あーーー! なんかいい感じにこじれてきてますねえ、袁紹陣営。 鮑信出っぱなし(;´Д`)ハァハァ…個人的には張邈さまがアレなのがアレですが、 でも曹操裏切る伏線だからしようがないか… あとは袁紹のキテレツっぷりもいい! 胡母班さま達を殺させる狭量っぷりが また! 明らかに若い頃の鷹揚さが無くなり、どんどん変になっていっている ようですやねえ。
108:左平(仮名) 2004/02/11(水) 18:12 さて、遂に「無敵と思われていた」董卓の軍団を打ち破る男−孫堅−の登場ですよ! 当時の彼は長沙太守。数万の兵を集められる立場という事からすると、曹操より恵まれた立場 ではあるのですが、それを差し引いても快挙です。 挙兵に際し、王叡・張咨を殺害してはいますが、彼の履歴を汚すには至りません。 かえって、これによって袁術を恐れさせ、軍糧を得ています。 しかし、袁術自身は動きません。一緒に動いていれば、袁紹を出し抜く事もできたのにねぇ…。 序盤、徐栄に苦杯を喫しますが、祖茂の活躍もあり難を逃れると、胡軫を破り華雄を斬ります。 孫堅を恐れた董卓は懐柔工作を試みますが、これを突っぱねると、直接対決を迎えます。 (徐栄、こうしてみると曹操・孫堅に勝ってるんですね。いまいち無名ながら、実は大変な名将では?) 董卓は騎兵の機動力を活用し、擬兵を以って欺こうとしますが、これを完全に看破。董卓が陣を構築する 間も与えずに総攻撃をかけます。 もっとも、ひとたび劣勢をみてとると、董卓はすかさず撤退します。このあたり、無駄な戦いによる 消耗を避けるという怜悧さが見て取れます。 董卓の撤退後、呂布と孫堅が干戈を交えますが、呂布の武勇を以ってしても、孫堅には届きません。 というか、呂布の武勇が全く目立たない!それほどまでに、孫堅の名将ぶりが際立っています。 洛陽入城後、孫堅はある発見をします。皆さんご存知の、玉璽です。 孫堅が洛陽に入ると玉璽が光(気といってもいい?)を放ったという事は…彼の家が帝室になると いう事か…。この噂を聞きつけた袁術が孫堅の妻を人質にとり、孫堅が戻ったところで今回は終わり。 …空想ですが、もし、袁術に見る目があったなら…。孫堅を立て、新政権を打ち立てる事もできたの では…。もっとも、彼が人の下につく事ができれば、の話なのでまぁ実現可能性は0なのですが。
109:★ぐっこ 2004/02/14(土) 00:13 読みますた! うーん、今回は何というか、堅パパファンデーの如く! 侵攻ルートの実力者を次ぎ次ぎと殺しながら北上する男っぽさ、 徐栄はともかくとして、胡軫、華雄、呂布を連戦でうち破る 戦上手さ! このへん董卓と轡を並べた頃のすごみがあってよい! 所詮その董卓の部下には負けっこないわけですな… 袁術は、このあたりまではまだ兄よりまともだったのにね…
110:左平(仮名) 2004/03/10(水) 23:12 妻を人質にとられた孫堅は、あっさりと玉璽を差し出しました。演義とはちょっと違います。 袁術も、これには上機嫌。孫堅は豫州刺史に任ぜられます。 当時、豫州刺史は孔チュウ【イ+由】でしたが、辞任し、その印綬を袁紹に預けていました。 後任として任ぜられたのは、周昂(周ウの弟)。 印綬を持つという点では周昂、朝廷に対する忠勤という点では孫堅。ともに、十全の正当性を 持たないだけに、決め手を欠き、激烈な争いとなります。 その一方、北では公孫サン【王+賛】と劉虞の争いが。結果は、公孫サン【王+賛】が劉虞を 殺害するというものでしたが、今回、それについてあまり詳しくは語られませんでした。 一方で、劉虞の依頼を受けた田疇が、使者として長安に赴き賞賛された事、そして、それに答 えるべく劉虞の子・劉和が派遣された事(そして、この劉和は孫堅と周昂の争いに少なからず 関与した)事が語られます。 まだ一族の仇・董卓が健在だというのに、袁紹と袁術が相争っています。 安定した勢力圏を渇望した袁紹は、逢紀の進言を容れ、韓馥から冀州を強奪します(その後韓 馥は自殺しますが、袁紹側が相当圧力をかけ、追い込んでいた様です。全く、悪どい事をする ものです。韓馥には恤民の心がありました。そんな人物を死に追いやるとは。やれやれ。これ では、荀揩ネらずとも見限りたくもなるか)。 官渡にはまだ数年ありますが、これでは曹操との戦いの結末も、おのずと見えてくる。そんな 感じさえしてきます。 董卓が長安にいた頃、関東の情勢はこんな感じでした。…こうしてみると、三国志に至る全体 像って、案外見えてないものですね。
111:左平(仮名) 2004/03/11(木) 21:23 今回書かれた袁紹と袁術の争い、もう少し詳しく書くと…。 反董卓連合が為すべき事も為さずにいる様をみた劉虞は、朝廷(≠董卓)に対する忠勤を示すべく田疇を派遣。 ↓ 田疇は、「状のル−トをとり、長安へ(幽州から西に向かい、そこから一気に南下。争乱の中にある中原を避けた)。 ↓ 皇帝は、劉虞に対し、自分を救い出す様依頼すべく、劉和を使者にたてる。 ↓ 劉和はV状のル−トをとり、幽州へ向かおうとする(長安から南下し、中原を避ける)。 ↓ 袁術が劉和を引き留め、別に使者を幽州へ派遣。劉和は留めおかれる。 ↓ 劉虞、袁術と連携して皇帝を救わんとし、軍勢を派遣。公孫サン【王+賛】は、一族の 公孫越をつけ、隙あらば…と指示 ↓ 孫堅と周昂の戦いに、幽州軍参戦。公孫越は討死し、孫堅を援護するはずの幽州軍は崩れるも、 孫堅が、優勢になった事で気を緩めた周昂を攻め立て、勝利。 ↓ 公孫越の討死に怒った公孫サン【王+賛】、袁紹と対立 ↓ 公孫サン【王+賛】が冀州を攻めるのをみて、袁紹は、逢紀の進言を容れ、韓馥から 冀州を強奪。 ↓ 韓馥、自殺。 その一方、曹操は、鮑信とともに自らの勢力を徐々に固めつつあります。
112:★ぐっこ 2004/03/12(金) 00:46 文春も読みこぼしたか…早く読まなきゃ…
113: 左平(仮名) 2004/04/10(土) 14:07 気がつくと、もう連載開始から三年。それで、今回のタイトルは『界橋』。皆さんなら、このタイトルでどのあたりの時期か見当がつくでしょう。先はまだまだ長い…。 遷都した長安において、董卓は思うがままに振る舞います。名将・皇甫嵩と和解(史書の記述を見る限りでは、不思議なほどこの経緯が穏やかなんですよね。皇甫嵩からすると、董卓は叔父の妻の仇のはずなんですけど…)した事と反董卓連合の分裂もあり、もはや恐れるものはなし。親族を次々と高位につけ、爵位を乱発し、自らを「尚父(太公望)」にしようと画策…。誰も止められないのか、と思いきや、蔡ヨウ【巛+邑】が懸命に諌言し、幾許かでもその暴走を留めております。彼の覚悟のほどについて言及したのって、宮城谷三国志が初めてでは? 正面から董卓を匡すことが出来るのは彼一人ですが、董卓を害せんとする毒は別に…。 一方、北に目を転じると、袁紹と公孫サン【王+贊】とが争っております(きっかけは、前回語られた、公孫越の戦死)。そんな折、異相の男が公孫サン【王+贊】のもとを訪れます。そう、劉備玄徳(←公孫サン【王+贊】のせりふの中で、一回こういう言い方をしてます)の登場です。黄巾との相次ぐ戦いに疲弊した感のある彼でしたが、ここで、名将の器との出会い、華々しい勝利があります。曹操と同様、着実に成長しつつあります。 タイトル通り、今回の山場は袁紹と公孫サン【王+贊】との大会戦です。公孫サン【王+贊】率いる白馬義従VS麹義率いる彊弩部隊との激突! ビジュアル的にも絵になる戦の結末は…!
114:★ぐっこ 2004/04/15(木) 00:23 見た( ゚Д゚)! 今回は、いよいよ本格的に三国志っ! サリゲに趙雲出てるのも いいですが、やはり公孫瓉の格好良さが!田楷の地味さが! 宮城谷袁紹は、どうにも救いようのない狭量・狷介な小人ですが、 それでも界橋では漢を見せてたなあ… 麹義と公孫瓉と鄒靖って、多少任官時期は外れますが、度遼将軍 の指揮下で対異民族の校尉をやってたんですねえ。界橋はいわば 僚将どうしの争いでもあったわけで。
115:左平(仮名) 2004/05/10(月) 23:53 今回のタイトルは「兗州」なのですが…実際には、孫氏を襲った悲劇と、その後の試練が主題といった感じです(勿論、兗州の 事もきちんと書かれてますよ)。 前回の最後に記されていた「思いがけない死」とは、孫堅自身のそれでした。袁術に愛想をつかしながらも、その指令をうけて 劉表と戦っている最中の出来事でした。(見方を変えれば)思いがけない殊勲を挙げた黄祖については、「劉表の軍事がまずく ないのは黄祖の武列による」という記述があり、ん?という感じ。 そう、何だかんだ言っても、彼が孫堅を倒したのは事実。そりゃ孫堅や孫策には将器の点では及ばないにしても、もう少し評価 されてもいい人物ではあるんですよね。卑劣な事をしたわけでもないし(陳舜臣氏の「諸葛孔明」での書かれ方に近いですね)。 父を喪った孫策は、しかし喪に服してばかりはいられません。当時は在野であった張紘に教えを乞い(ここで「墨衰絰【ぼく さいてつ:喪服・帯を黒く染めること。晋の襄公の故事から】」という言葉が出てきます。そう、当時の士人にとっては春秋 は必須の教養です)、呂範や兪河といった人物の支援を受けます。 一方、叔父の呉景は袁術の配下として前述の周ウと戦いますが、彼我の器量の違いは大きく、孫策は父の手勢の返還を願います。 …しかし、兵を借りるネタの玉璽はもう袁術に渡したのでは…? 孫策の行動を語る中で、陶謙や趙Gにも触れられています。 一方、タイトルの兗州についてはというと、黄巾の蜂起によって劉岱が戦死。その空白を埋める 存在として、曹操の名が浮上します。これを画策したのは、陳宮(能吏とされていますが、その 人物についてはまだはっきりとは描かれていません。こちらは次回待ちでしょうか)。また、この 頃には荀揩熨qの幕下に加わっています。程Gも、ぼちぼちでしょうか。 数十万にも達する敵の大軍に対し、曹操は数千を以って立ち向かいます。一体、どうやって戦うの でしょうか。
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