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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
110:左平(仮名) 2004/03/10(水) 23:12 妻を人質にとられた孫堅は、あっさりと玉璽を差し出しました。演義とはちょっと違います。 袁術も、これには上機嫌。孫堅は豫州刺史に任ぜられます。 当時、豫州刺史は孔チュウ【イ+由】でしたが、辞任し、その印綬を袁紹に預けていました。 後任として任ぜられたのは、周昂(周ウの弟)。 印綬を持つという点では周昂、朝廷に対する忠勤という点では孫堅。ともに、十全の正当性を 持たないだけに、決め手を欠き、激烈な争いとなります。 その一方、北では公孫サン【王+賛】と劉虞の争いが。結果は、公孫サン【王+賛】が劉虞を 殺害するというものでしたが、今回、それについてあまり詳しくは語られませんでした。 一方で、劉虞の依頼を受けた田疇が、使者として長安に赴き賞賛された事、そして、それに答 えるべく劉虞の子・劉和が派遣された事(そして、この劉和は孫堅と周昂の争いに少なからず 関与した)事が語られます。 まだ一族の仇・董卓が健在だというのに、袁紹と袁術が相争っています。 安定した勢力圏を渇望した袁紹は、逢紀の進言を容れ、韓馥から冀州を強奪します(その後韓 馥は自殺しますが、袁紹側が相当圧力をかけ、追い込んでいた様です。全く、悪どい事をする ものです。韓馥には恤民の心がありました。そんな人物を死に追いやるとは。やれやれ。これ では、荀揩ネらずとも見限りたくもなるか)。 官渡にはまだ数年ありますが、これでは曹操との戦いの結末も、おのずと見えてくる。そんな 感じさえしてきます。 董卓が長安にいた頃、関東の情勢はこんな感じでした。…こうしてみると、三国志に至る全体 像って、案外見えてないものですね。
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