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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
165:左平(仮名) 2005/08/10(水) 23:13 今回のタイトルは「張繍」。とはいえ、今回は、曹操のもとにやってきた異相の男−劉備から始まります。 「英雄、英雄を知る」と言いますが、曹操の前に立つ劉備の姿は、英雄には遠く見えました。程G・郭嘉がともに 「劉備は英雄である」と評し、曹操自身、現時点の劉備は斉の桓公のもとに身を寄せた晋の文公の立場に似ている と感じつつも、いまひとつ実感が湧かない様子です。 これって、いわゆる「岡目八目」ということなのでしょうか。曹操が英雄であるが故に、同じく英雄である劉備の 持つ何かに気付かない。英雄でない程Gや郭嘉にはそれか見えた…。 一方、南に目を転ずると、張済が亡くなり甥の張繍がその軍団を引き継ぎました。彼は、曹操と比べるとやや器量 は劣るものの、自らに何が足りないかは自覚しており、それを補う者−賈ク【言+羽】を招きます。 そして、天子を擁した曹操は、周辺のうち、最も弱い部分である宛にいる張繍に狙いを定めるのですが… ここで、賈ク【言+羽】の知略が発揮されます。まともに戦っては劣勢は明らか。となると、手段は一つ。 そう、奇襲です。 いったん降伏した後、一挙に本陣を衝く。事実、この策はあたり、曹操は嫡男・曹昂を失うという大敗を 喫することに。 …ただ、ここの流れについては、二つの理由により、えらくすっきりしたものになってます。 一つは、典韋が名前すら出てこないこと。 もう一つは、張済未亡人と曹操との××な関係に触れられていないこと。 なせ触れなかったのかはよく分かりませんが…ただ、それだけに、「何故曹操ともあろう人 がここでかくもあっさりと大敗したのか?」という感がよりいっそう強くなります。 そのショックも覚めやらぬ時に、袁紹からの無神経な書状。まさかそれだけのせいでもない でしょうが、曹操、ついに打倒袁紹の思いを明らかにします。さて、次回の展開は…?
166:左平(仮名) 2005/09/18(日) 19:53 今回のタイトルは「僭号」。袁術が帝位を僭称しました。 人の感情を逆撫でするが如き書状を受け取った曹操ですが、客観情勢はかなり不利。曹操自身、打倒袁紹を考えた ものの、見通しは立たない状態です。 なにしろ、相手は既に河北の四州を制しているのに対し、こちらは二州。天子を擁してはいても、相手はその威光 など屁ほどにも感じていないのですからどうにもなりません(互いに憎みあってはいても、このあたり、袁紹・袁 術は似たもの同士)。 それに加えて徐州には呂布、涼州には諸軍閥。南はまだしも、三方から囲まれはしないかという恐怖があったわけ です。 それを救ったのは、荀掾E郭嘉、そして鍾繇でした。荀掾E郭嘉は曹操の美点と袁紹の失点とを挙げ勇気付け、鍾 繇は侍中兼司隷校尉として涼州の有力者である韓遂・馬騰を懐柔。さすがの曹操も、この時は、優れた配下達の威 徳に心底感心しております。 一方、徐州に目を転じると、呂布がその支配権を獲得する経緯が描かれます。ここでも、劉備は冴えません。迎え 入れた筈の呂布の気まぐれに翻弄されまくってます(まぁ、呂布に翻弄されまくったのは何も劉備ばかりではない んですけどね)。 そんな、一見すると何を考えてるのか分からない呂布ですが、曹操はその行動原理を見抜きつつありました。端的 にいうと、「我こそは漢の忠臣。我に逆らう者は皆逆臣」ということです。 …ある意味、ジャイアニズムの側面がありますね。ともかく、その故に、僭称した袁術と戦うことになります。 しかし、袁術、うまくいけば、孫堅(+孫策)・呂布という二大勇将を抱えていただろうに、という指摘は、なか なか面白いですね。彼の怠惰さが、自身のみならず呂布をも負のスパイラルに巻き込んだ…
167:左平(仮名) 2005/10/09(日) 00:03 うわ〜!せっかくの書き込みが消えてしまった〜!!…書き直し。 今回のタイトルは「高山」。今回描かれた具体的な事件のことという より、建安二〜三年の情勢を概観したタイトルの様です。 まずは、袁術僭号をうけての江南の情勢。 孫策は、袁術と絶縁し、攻める準備を進めます。しかし、こうしてみる と袁術の認識の甘さが分かりますね。この頃、孫策の勢力は既にかなり のものになってます。かつては身近におきその器量は把握していたはず。 その彼を敵に回すことがどれだけの損失か。ちょっと考えれば分かろう ものを。 もとの揚州刺史・陳瑀が孫策の隙を衝くべく厳白虎らとともに攻めようと しますが、あっさりと返り討ちに。その勢力はさらに広がりました。 孫策の苛烈さをみた曹操は、ひとまず融和策をとることとします。今しばらく は戦うべき相手ではないというわけです。 そんな中、袁術はまたもやらかしました。陳国に食糧があると聞くと高圧的な 態度でそれを求め、断られると王の劉寵と相の駱俊(駱統の父)とを暗殺した のです。 劉寵はやや野心家肌ではありましたが、武芸に秀で、国内の治安維持に成功。 駱俊はすぐれた行政手腕を持ち、国内をしっかりと統治。乱世にあって陳国 の平穏を守っていました。二人ともひとかどの人材です。 この頃、曹操はというと許褚や趙儼といった偉材を得ていたというのに袁術 は人材を失い敵を増やす。 あげくに、曹操の攻撃を受けると四将軍を見殺しにして逃走。袁術という人 は、後漢という時代の醜い点を凝集した感があります。 ただ、そんな存在は袁術ばかりではありません。その姻戚である楊彪もまた、 曹操からみると醜類の一人です。今回、直接の理由はよく分かりませんでした が、投獄されたのです。 宦官の孫の曹操に軽侮の目を向けるくせに董卓の力に屈した楊彪。曹操から すると、そんな彼に良い感情を持てるはずもなく。 これがあの楊震の曾孫か。こいつは四知という言葉を理解しているのか。血は 受け継がれても志は受け継がれるとは限らない。 彼らの振る舞いは、いわゆる名士の限界を示しているわけでもあるんですよね。 後半は、群雄達の最期が続きます。楊奉と韓暹は呂布に見切りをつけ劉備を利用 しようとしますが、楊奉は劉備に殺され、その死を知って呆然自失した韓暹は白 波に帰ろうとしますが、賊として殺されます。 勤皇の人ではありましたが、単純でもあった二人は、一見茫洋と見えながらも、 実は底知れない複雑な人格を持った劉備には敵わなかったということみたいです。 李カク【イ+鶴−鳥】、郭レ、李楽、胡才。彼らもまたこの頃に姿を消しました。 ここらの情勢を、宮城谷氏は「攢峰(さんぽう)を均す」と表現しておられます。 あまたの群雄達が、曹操、両袁氏、孫策などいくつかの有力勢力に収斂されつつ あります。 追記:「攢峰」という言葉を字書で引くと、唐初の詩人・駱賓王の名が。駱統と 同じく、今の浙江省の人といいますから、何らかのつながりがあるのかも。
168:左平(仮名) 2005/11/11(金) 00:46 今日(日付上はもう昨日ですが)は蒼天の最終回。こちらはおいおい書き込むとして… 今回のタイトルは「下邳」。まずは、曹操vs張繍の第二ラウンドから始まります。 曹操と賈ク【言+羽】。二人の知略がそれぞれ冴えを見せており、なかなか読み応えの あるところです。 劉表はどう動くか。両者、その様子を見ながら戦いが始まります。このあたりは、中小 勢力たる張繍の側にとってより切実。賈ク【言+羽】は、あえて援軍を頼むことは せず、自勢力の存在感を示しつつ戦力の損耗を避けます。 この時点では各地に敵のいる曹操は、長期戦は避けたいところ。そこに、田豊が袁紹に 許都攻めを勧めたという話がありましたから、戦況は決して不利ではないものの、撤退 する事になります。 ここからが両者の凄いところ。まず曹操は、前後に敵がいる形になりながらも、通常の 数分の一というスローペースで行軍しつつ、「軍を消す(隠す)」という奇策をとり、 追っ手を大破します。その後は急ぎ帰京。 一方賈ク【言+羽】は、最初の追撃は必ず敗れる事を、次の(敗走後の)追撃は必ず勝 利する事を張繍に告げ、結果はみごとその通りに。 ここで、何ゆえそうなったのかと聞く張繍に対する回答は至って誠実なもの(いくら何 でも、あなたは曹操には劣る、ってはっきり言い切りますか、普通)。 …そういえば、三国志「T」の時の賈ク【言+羽】って、顔グラがけっこう穏やかそう な感じだったんですよね。 その戦いの後、曹操にとっての主敵は呂布になります。タイトルのとおり、後半は呂布 攻めです。 ここで、高順達が語られます。「陥陳(陣)営」の異名を持つ高順はまさしく名将。戦 えは必ず勝ち、欲は少なく、忠義に篤い。呂布にとってこれほど頼もしい配下はいない といってもいいでしょう。しかし、呂布は彼をいまいち信用しません。高順自身は呂布 に叛くようなことは何もしていないというのに…。 一方、あの兗州の攻防の後、曹操と呂布・陳宮とでは、その力量にどんどん差がついて いる様です。それは、前者が学び続けているのに対し、後者が学ぶのをやめてしまった からに他なりません。 宮城谷三国志においては、最終的に勝者となるのは「学び続け(、その結果成長し続け た)た者」という視点がある様です。 この戦いの中、呂布は愛する妻の言葉により陳宮の策の実行をためらい、動けなくなり ます。そんな中、配下の将達は…
169:左平(仮名) 2005/12/11(日) 21:59 今回のタイトルは「逐勝(勝ちに乗じて進む)」。 前回ラストからの流れのとおり、ついに呂布の命運が尽きる時が来ました。 …しかし、それは、予想以上に呆気ないものでした。 姻戚でもあった魏続に陳宮を拉致され、高順ともども、もはや為す術もなく 捕えられたのです。 呂布の軍事的才能は曹操にとっても魅力的ではありましたが、劉備の一言に よって引導を渡されます。そして陳宮は、この時点ではもう呂布に心服して いないにも関わらず、ただ曹操に対する意地から、自ら死を選びます。 この場面、曹操の方が未練たっぷりです。 この時曹操が得た人材として、袁渙、陳羣、それと復帰組の畢獅フ名が挙がって います(ここでは張遼には触れられていません)。 これで一つ厄介な敵を片付けた曹操。そんな矢先、河内に異変が。張楊が、 配下によって殺害されたのです。 勤皇の士にして温厚篤実な張楊は、呂布と親しく、陰ながら声援を送って いたのですが、もはや呂布の命運は尽きており、将来に不安を抱いた楊醜に よって…という経緯。 もっとも、楊醜もまたすぐに眭固に殺され、河内の情勢は流動的に。曹操、 この状況を逃さず、直ちに攻略にかかります。 ここは董昭の巧みな説得により、無血開城となります。そして、ここの太守 に任ぜられたのは…魏チュウ(禾+中)。 今回、曹操が才を重んじた例として語られる二人が揃い踏みという具合です。 もっとも、魏チュウ(禾+中)については、単に才能のみではない含みも。 一方河北では、ついに公孫瓚が最期を迎えます。…もうズタボロです。痴呆に なり妻子を手にかけて…というあたり、白馬義従を従えた頃の面影はいずこに ありや、ってな感じ。 彼に殉じた関靖、最期はきれいだったけど…こちらも酷評されてます。 いよいよ曹操vs袁紹というわけですが…何事につけても動きの鈍い袁紹、既に 後継者問題も絡んできて、課題は多し。 そんな中、突然の袁術からの使者。それは、袁術の破綻を示すものであったのです が…
170:左平(仮名) 2006/01/02(月) 01:35 日付は変わりましたが…新聞の広告欄に注目。 この9月に、宮城谷三国志の四・五巻が出るみたいです。 今のところ、一年分で一冊というぺースですから…今年の五月号あたりまでは 既に書きあがってるのかも知れませんね。
171:左平(仮名) 2006/01/10(火) 23:29 今回のタイトルは「密詔」。董承による曹操暗殺計画が語られます。 その発端は、意外にも劉備の存在でした。といっても、劉備が反曹操の急先鋒…など というわけでは全くなく、むしろ曹操が異様なくらいにそば近くにおいていることから (刺客として使える)と値踏みされた、という次第。 曹操にとっては劉備は全く異質の存在でした。衰亡しつつある劉氏にあって、ひとりしぶ とく生きながらえる様はひとつの奇跡。それゆえに近づけ、ついには彼を英雄と評するに 至ります。ただ、劉備はというと、曹操に対して別段恩義を感じるというわけでもなく、 その肚はさっぱり読めません。 劉備にとって、この暗殺計画(皇帝の密詔自体はちゃんと出てます)には二つの意味が ありました。 一つは、中央政界の生臭さを思い知ったこと。袁術討伐を理由に都を離れたのは、単に 曹操に叛旗を翻すためだけではありません。 もう一つは、自分を相対化させる存在−曹操−を知ったことで、自らの位置づけがより 明確になったこと。今上も自分も、もとをたどれば景帝に至る。ゆえに、皇帝とて全く 届き得ない存在ではない。中央を離れ自立するのよし…。 劉備が去った後も、董承は曹操暗殺計画を進めますが、その計画は粗雑。徐他については 許褚の胸騒ぎという予測不能の要因による失敗でしたが、こちらは失敗するべくして失敗 したという書かれ方です(何より、悪政をしていない曹操を殺して、さてどうするのかと いうビジョンがないのでは…)。 事件が片付いた後、曹操は、皇帝を半ば無視するようになります。 ただ、今回、皇帝の真意というのがどうも読めないんですよね…。 袁術は、今回で滅びました。何とも呆気なかったです(それはそうと、本作では「喀血」 したとあるのですが、三国志も後漢書も「嘔血」とあります。喀血・吐血・嘔血の意味は それぞれ微妙に異なるはずなのですが…)。 徐州で自立を図った劉備を逐い、曹操は、ついに袁紹との決戦に臨むことになります。 蛇足:挿絵は村上豊氏が書かれてますが、今回は妙に個人的にはまりました。英雄同士の 対面というのに、何だか、いしい御大の「最底人(↓)」みたいで。 あほ〜〜〜っ! \ / \ / lV:)* lV:)* lV:)* lV:)* いしいスレで見つけたAAです。
172:左平(仮名) 2006/02/12(日) 19:55 今回のタイトルは「対決」。いよいよ、官渡の戦いに突入します。興味深い記述が多く、 金曜に一度読んだのですが、再度読み直しましたよ。 まずは袁紹側の動き。このような非常時にあっても、この陣営の宿痾とも言うべき派閥 抗争(と言っても郭図が一方的に沮授を嫌っているという感じ)が生じています。 しかし、双方の主張を聞いてみると、実は両方に理があるという不思議な状況でもあり ます。 この時主戦論を唱えたのは郭図・審配、慎重論を唱えたのは沮授・田豊なのですが…実 のところ、曹操が脅威であるという意味では同じ認識に立っているのです(慎重論者は 公孫瓚との戦いで疲弊した河北の回復を待つべきであると主張。一方、主戦論者は、曹 操がその間に何も手を打たないはずはない【故に機先を制するべし】と主張します。兵 は拙速を聞くも〜ということを考えると、果たして、どちらが良かったのか迷うところ です)。 結局は、どちらの論をとるにしろ、袁紹は明確な決断を下すべきであった。ぐずぐずと 決断を下すのが遅れたため勝機を逸した…というところです(内心では曹操との決戦を 望んでいたのに行動はちぐはぐになっています)。 これ、職場ではヒラの私にも痛い指摘ですね。ましてや組織の頂点に立つ者であれば、 なおさら堪えるかと。 逡巡の末に出師を決めた袁紹。しかし、それにあたって諌言を呈した田豊を投獄すると いう愚を犯します。彼らの忠誠心は疑いようのないものなのですから、いざ決戦となれ ば、慎重派といえども勝つ為に最善を尽くすべく尽力するというのに…。 ともかく、河水を挟んで両者は対峙します。そして、白馬の戦い。 関羽・張遼vs顔良。名だたる勇将同士の夢の競演…というところですが、実はそうは なりませんでした。しかし、これまでの三国志とはまた違った描かれ方で、そこがまた 何ともたまらない名場面なんです。 呂布の描かれ方もそうですが、ここでの関羽、イメージががらっと変わりますよ。いつ の間にこのような変貌を遂げてたの、ってな感じで。義に篤い勇将というだけでなく、 少なからぬ知性も感じられます。 あの項羽にも劣るまい、ってな賛辞はちょっとニュアンスが異なる様な感じはあります (項羽というより…生還した専諸の方が近いかな)けど。 長くなったので、続きます。
173:左平(仮名) 2006/02/12(日) 19:56 先の書き込みの続き もちろん、このために劉備は危うくなるわけですが…そこはそれ、逃げ足の速さが売り なだけに、何とか切り抜け、いつの間にか曹操の後方に回ってます。 となると…曹仁の活躍も見逃せません。蒼天では、この時点ではまだまだ未熟ですが、 ここではもう堂々たる将帥です(でもビジュアルは蒼天バージョンのまま。ほんとあの 絵は強烈ですわ)。 なお、文醜の方は…何ともそっけない記述でした。ただ、この場面において、恐怖心を 利用して一気に士気を高める曹操の采配は見事の一言です。 一方、荊州の劉表は、と言うと…北の決戦をよそに傍観拱手を決め込みます。ただ、一 見妙手のように見えて、実はこれ、大失策。 『漁夫の利』というのはしょせん詭弁。ここは旗幟を鮮明にした方が良かったのです。 (ここまで書いてて、いしい御大の忍者ネタが思い浮かびました。藩内の醜い派閥抗争 に対し、どちらからも恨まれたくないと中立に立った結果、どちらからも恨まれた…) 韓嵩を使者として派遣しますが、韓嵩が危惧した通りの結末になるあたり、劉表もまた 袁紹と同類でした。でも、その破綻は、ここではまだ顕在化はしていません。 長い戦いはついに全面対決の様相を呈します。兵力に優る袁紹(兵力差については、曹操 の勝利をより鮮明にするための修辞という指摘がある一方、自らの意思をすみずみにまで ゆきわたらせようとすれば過度の大軍は率いないだろうという指摘もありますので一概に は言えませんが、それでも倍くらいはあったのではないか、とのこと)が押し気味に進め ますが…ここで、思いがけない事態が発生します。 許攸の…
174:左平(仮名) 2006/03/12(日) 21:38 今回のタイトルは「官渡」。三国志における一大ターニングポイント・官渡の戦いに決着がつく時がきました。 あの白馬義従を打ち破った強烈な弩の一斉掃射が曹操陣営に襲い掛かります。反撃しようとしても、相手の方が 物量・精度において上回るため、劣勢を挽回するには至りません。 (射程距離が半里余りといいますから、200m以上ですね。何かのスレで見たのですが、戦国時代末期の火縄 銃の射程が約120mだったそうですから、その威力のほどがうかがえます) さすがの曹操も弱気の虫が顔をのぞかせ、許で防御を固めようかとの書簡を荀揩ノ送りますが、荀揩フ叱咤激励 を受け、気を取り直します。 (俗に「岡目八目」と言いますが、ここでの曹操と荀揩みると、その言葉がよく当てはまっている様ですね) ここで考え出されたのが「発石車」。弩よりも射程距離が長く、かつ、殺傷能力が高い新兵器です。何基くらい 作られたのかは分かりませんが…ともかく、天から岩が次々と降ってくると考えると、敵にとっては一大脅威。 岩の雨を避けようとすると弩の殺傷能力が激減しますから、互いに距離をおいてのにらみ合いとなり、戦いは膠 着状態と相成ります。 地下での攻防はありましたが、袁紹側の策を曹操がはね返すという感じで、決め手とはなりません。 こうなると、どちらかに隙が出来た方が負けとなります。この点、曹操にはツキがありました。背後を衝く恐れの あった唯一の存在・孫策が急死したのです。 経緯については、このスレを御覧になる方々にはご存知の通りですが、その雄々しさ・苛烈さと一方での呆気なさ には、どこか織田信長に似た雰囲気を感じました。 なお、劉備については、関羽の件がありますから袁紹の許を離れましたが、こちらは小勢力ですから背後を脅かす というほどではありません。劉表は中立という名の傍観ですし、その他の勢力は言わずもがな。 一方で、大軍であるだけに兵糧の消耗も大きい袁紹は、その集積地を烏巣に置いていたのですが、ここが隙となり ました。 ここを守るは淳干(う…「ウ【迂−しんにゅう】」が出ないっ!)瓊。要地を任されている訳ですから決して小さい 将器ではなかったのでしょうが、許攸の情報をもとに攻めてきた曹操の軍勢を見ても軽く蹴散らせると見くびって いたのです。 こうして、袁紹は、顔良・文醜・淳ウ【迂−しんにゅう】瓊といった将器、大量の兵糧、それに、万を越える兵(烏 巣の救援を提案するも容れられなかった張コウ【合β】・高覧がそのまま降ったため)を一挙に失い、壊走しました。 それにしても、許攸の情報の真贋の見極め方といい、張コウ【合β】を受け入れる時の言葉(微子啓や韓信をたとえに出してます!)といい、大量の書簡を発見した時の対応といい、曹操、見事の一言です。 人並以上に策謀を弄しながらも、一方で、誠心を持って人にあたるという姿勢を取れているからでしょうね。 とはいえ、まだまだ袁紹は健在。荊州にも一瞬目移りしたものの、諌言を受けてこの誘惑を振り切り、次なる戦いに 臨むことになります。 今回のラストに、久しぶりの名前―趙雲が登場しました。正式に劉備配下になったのです。「それ(趙雲がひそかに 募兵した)ゆえ、劉備のもとには数百の冀州人がいる」。…何か含みがあるのでしょうか。
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