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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
198:左平(仮名) 2008/01/04(金) 23:22 三国志(2007年12月) 今回のタイトルは「劉璋」。とはいえ、序盤に描かれているのは、孫夫人による劉禅拉致事件の顛末です。 最初から政略結婚とは承知していたものの、互いに全く心を許さない、冷え切った夫婦。一応、孫夫人の 方は美貌の持ち主とはなっているのですが…これではどうにもなりません。 この夫婦の仲については多くの作品でいろいろな描かれ方がなされていますが、本作では、互いにとって 不幸以外の何物でもないという感じです。 そんな彼女が、劉備にした最大の嫌がらせ。それが、嗣子・劉禅をさらうことでした。それ以前にもあれ これと嫌がらせ(放恣な振る舞いなど)をしているのですが、劉備達はそれには反応しません。反応して 夫婦関係に何らかの進展があればツンデレということにもなったのでしょうが…。 ただ、彼女の監視役として趙雲を残したことで、益州攻略作戦に負の影響を与えたというのですから、孫 呉にとっては意味のある婚姻ではあったわけです。 そして、孫夫人が荊州を去ります。あの冷静沈着な趙雲が取り乱す(恐らく、本作で趙雲が取り乱すのは この一回のみ)という中、諸葛亮は落ち着いています。 なぜなら、劉備は全てを―家族を含めて―ためらいなく捨てられる人物なので、このくらいのことでは堪 えないことを知っているから。三顧の礼から四、五年に過ぎないのですが、諸葛亮は劉備のことをよく理 解しています。 では、なぜ趙雲は取り乱しているか、ですが、それはちょっと違う意味があるようです。 (途中から張飛も加わりますが)趙雲の必死の捜索にも関わらず、劉禅はなかなか見つかりません。もう だめかと思われたその時! …ともあれ、何とか劉禅を取り戻すことができました。二度までも自分を救ってくれた趙雲の姿が、幼い 劉禅に強く焼き付けられたことは言うまでもありません。 さて、ところは変わって、益州。張松や法正の勧めにも関わらず、劉備はなかなか動きません。そうこう しているうちに、曹操の方に動きがあった…ということで、荊州への引き揚げを示唆。 このことがきっかけとなり、張松たちの策謀が露見。張松は処刑されます。 この件については、単に劉備の優柔不断が招いた失策…と思っていたのですが、そうではないのでは、と いう視点が。張松は、晋文公における里克の如き存在であったのではないか、というのです。 このような存在は、本人の忠心そのものは真であっても、(重んじれば主を裏切った者を厚遇するのかと みられ、冷遇すると功労者を正しく遇することもできないのかとみられるので)何かと扱いにくいもので あるのも事実。さすがに張松もそこまで思って…ということはないでしょうし劉備もこの故事を咀嚼した 上でかくの如き行動をした…とは思えませんが、そのような視点を提示されると、策略というものの非情 さを思い知らされるような思いがします。自分には到底できそうにない、と。 そして、ついに益州攻略作戦を実行に移す劉備。龐統からは上中下の策を提示されますが、ここは中の策 をとります。あまりに良い策を用いると、後々、その策にとらわれることに―赤壁で大勝をおさめながら 江陵で苦戦した周瑜の如く―なることを恐れたからです。 さて、次回は…?
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