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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
215:左平(仮名)2008/08/23(土) 21:24:11 ID:tI77SrF2AAS
続き。
さて、呂蒙の方ですが…全く気取られることなく荊州への進入に成功し、虞翻の巧みな説得により、ほとんど無傷で
その確保に成功します。
他作品では、(私個人の偏見かもしれませんが)どこか奇人というイメージのある虞翻も、ここでは直言を憚らない
まっすぐな人物として描かれます。しかし、孫策はその直言を喜んで聞きいれたのに、孫権は疎ましく思っていたと
いうのも、何か変な感じが(兵を率いることで及ばないのはともかく、人を用いることで負けていては…)。
なすすべなく敵に迫られ、抵抗しても報われるかどうか分からない…と嘆いて士仁が降ったのに対し、糜芳の方は、
何か呆気なくみえました。そういえば、蒼天でもそうでしたね。
士仁の経歴等がいまいちよく分からない(仮にも太守だったわけですから、どこの馬の骨とも知れぬ…ということは
ないですし、ぽっと出の若手というわけでもないはずですが。ただ、彼を配していたことを、後方に対する警戒が薄
い、というように書かれていることからすると、軍事的手腕はもとから乏しい【裏を返せば、行政面での才能を期待
されていた】人物だった?)のに対し、糜芳は、徐州以来の古参。それが、いかに関羽との関係が悪かったとはいえ
…という感があるのは否めません。
その後、呂蒙は、民衆の慰撫に努めます。ささいな罪を犯した同郷の兵を、涙をのんで処刑するあたり、その軍紀の
厳しさがうかがえます(一方で、そこまでしないと民心が得られないというわけですから、関羽の行政手腕も一廉の
ものではあったようです)。
ちなみに、今回のラストは、前述の、徐晃が前漢の名将・周亜父の如しと称賛されたくだりですが、その前に、張遼
もちらりと登場。こちらにも、かなりの賛辞が。
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