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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
224:左平(仮名) 2008/12/20(土) 15:32:15 ID:G2aSbWbi 続き。 さて、呂蒙が亡くなり、また、魏・蜀漢の双方を敵にするわけですから、呉にとっては一大事です。孫権は、ここでも したたかに振る舞います。 蜀漢に対しては、言動に棘のない諸葛瑾を配置し、魏に対しては、(名目だけとはいえ)臣下の礼をとり攻撃される隙 を見せません。ただ、それらが十分な効果を挙げたか、というと…。 客観的に考えると、ここでは蜀漢は呉と戦うべきではないわけです。ですが、相手は劉備。良きにつけ悪しきにつけ、 人の常識に当てはまらない人物です(今回は、『皇帝としては』すべきでないことを敢えてしている…という含みを持 たせています。彼にとって、皇帝位というのは、何かの区切りではあってもそれ以上のものではない)。 また、魏としても、呉と蜀漢とが戦うというのであれば、この機に乗じて一気に呉を滅ぼし(蜀漢は後からゆっくりと …)という策もあったわけです。 ここでは、劉曄(その智謀は、あの郭嘉に近い!と)がそれを考えています。しかし…帝位について間もない曹丕から すると、それは受け入れ難いわけで…。 さて、呉が(名目だけとはいえ)臣下の礼をとったことで、于禁が魏に送還されたわけですが…曹操の陵墓に描かれた 己の無残な姿に打ちひしがれ、そのまま亡くなります。 生きて名誉回復を遂げた荀林父や孟明視には及ばなかったとされるわけですが…このあたりもまた、曹丕の器量に疑問 符が付けられるところなんですよね…。 ラスト。呉領内に進攻した蜀漢の軍勢は、補給に不安を感じ、補給路の確保にかかります。こ、これは…。
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