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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
231:左平(仮名)2009/04/25(土) 02:53:37 ID:FJO82zTv0AAS
三国志(2009年04月)
今回のタイトルは「南中」。諸葛亮が動き始めます。が…その前に、曹丕の、再度の親征です。
人からすれば思いつきのようでも、曹丕としては、それなりに考えての親征。しかし、君臣の心が一致しているとは
言えない現状では、どれだけの意味があるのか(表立って反対意見を述べたのは劉曄くらいですが…)。
こちらが、皇帝自ら大軍を率いて出てきたのだ。当然、呉も国を挙げて応戦するに違いない。曹丕は(群臣の殆ども)
そう考えたわけですが、劉曄が予見したとおり、そうはならず、肩透かしを食った格好です。
孫権にはまことの礼が無い。ひどい言われようですが、ここまでの外交姿勢をみると、一面の事実ではあります。
敵の総大将が出てこないし、皇帝自身も、前線からは離れている。となると、魏軍の戦意はいま一つ。徐盛の偽城壁
などもありつつ、戦いは膠着状態に入ります。
自身は出ない。とはいえ、魏の大軍(そしてその背後にある国力等の要素)を目の当たりにすると、厚顔な孫権も
さすがに不安になったのか、占術の達人・趙達を呼び、話を聞きます。
趙達は、曹丕が既に去ったことを伝えますが、一方で、庚子の年に呉は衰える、と気になる予言をします。それは、
この時点から五十八年後(実際には、この時から五十六年後なので、これより二年前の記録と混同された?)。
さすがに孫権自身は生きてはいないでしょうが、呉にとっては暗い予言です。趙達の予言の確かさをみると、これも
当たるでしょう。孫権は、あえて遠い未来は無視することにしました。「今のことで精いっぱい」というわけです。
さて、成果なく帰還した曹丕の耳に、悪い噂が入ります。親友でもあり、この当時、荊州を任せていた夏侯尚が、妾を
寵愛し正室(曹氏)を軽んじているというのです。
かつて杜襲に「(曹丕の)益友にあらず」と諌められたとはいえ、文武兼備の名将ということもあり狎れ親しんでいた
人物の醜聞。曹丕にとって衝撃ではあったでしょうが…いきなり部下を遣って妾を殺させるというのもあまりな話です。
最愛の女性を喪った夏侯尚の悲嘆は激しく、後を追うように亡くなりました。
長くなるので続きます。
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