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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
235:左平(仮名) 2009/06/21(日) 01:20:53 ID:VtX07A/g0 三国志(2009年06月) 今回のタイトルは「孟達」。この名がまた出てきたということは…。諸葛亮がついに動き始めます。 「これを読んで感涙せざる者は人にあらず」。千古の名文として知られる「出師表」。「危急存亡の秋」という言葉は、 この時点の蜀漢にはややそぐわないところがある(南征に成功したことで国力はまずまず充実している)ものの、その 未来図が決して明るくないことを思うと、あながち過剰な表現というわけでもありません。 かつて、蜀の地において皇帝を名乗り強盛を誇った公孫述は、時勢に乗り損ねて光武帝に敗れ、滅びました。覆車の轍 を踏まない為にも、漢の再興という政権の正統性を維持する為にも、ここで戦う必要があると考えたわけです。 ただ、ことがことだけに、失敗は許されません。そこで諸葛亮は、ある人物に目を付けました。孟達です。 曹丕にいたく気に入られ、要地・上庸を任された孟達ですが、彼にとって、魏は居心地がよい所とは言えませんでした。 裏切り者の常とはいえ、魏の人々からは冷たい目で見られていることを、痛いくらいに感じていたためです。 「武皇帝(曹操)は…」。 かつて曹操は、降った敵将を重く用いました。もとは呂布の配下であった張遼などは、天下に名を轟かせる名将にまで なりました。魏の人々にとって、張遼は、「旧主を見限った元敵将」ではなく「魏の誇るべき名将」なのです。 しかし…。曹操の生きた非凡な時は既に去り、人々は平凡な道義を振りかざします。そんな中では、孟達のような人物 の居場所はないのです。 ただ…。曹操の創業の時は終わったのですが、今、帝位にある曹叡もまた、凡庸な人物ではありません。司馬懿を宛 に配置したのは、呉・蜀漢の双方に目を光らせるための措置。中央から遠ざけるというのとは違うのです。そのこと を孟達が気付いていたら、どうだったでしょうか。 孟達を寝返らせる。諸葛亮からその案を聞かされた費詩は、孟達を「小人に過ぎない」と断じました。彼が魏に奔った 経緯を考えるとやや酷な物言いのようですが…結局、それが…。 長くなるので続きます。
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