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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
236:左平(仮名) 2009/06/21(日) 01:22:24 ID:VtX07A/g0 続き。 諸葛亮と孟達との書簡のやりとりは続きますが、孟達はなかなか動きません。互いに「相手が動いたら連動する」という 発想に陥っていたためです。それに異を唱えたのは、魏延でした。 ここでの魏延はただの武人ではありません。「もし孟達が先に動いたなら、魏との戦いを始めるという栄誉は孟達のもの となり、我らの大義は損なわれる。丞相は失敗しないよう慎重になる余りに、この戦いの原点をお忘れではないか」。 このようなことをずばり指摘してみせたのです。 先帝・劉備に見出され、蜀漢の柱石たる張飛をおいて要地・漢中を任された名将・魏延。諸葛亮も、彼を軽くみることは しませんでしたが、武将を用いる力は、劉備には及びませんでした(一方で、蒋琬のエピソードをみると、文官を用いる 力は諸葛亮の方がまさっているのですから不思議なものです)。 このままずるずると年を越しては、自身の威令が利かなくなり、来るべき戦いにおいて支障をきたす恐れがある。魏延の 指摘を聞いた諸葛亮は、ついに決断を下します。 信頼する配下・郭模をあえて魏に奔らせ、孟達が動かざるを得なくなるよう仕向けたのです。郭模(および家族の)身の 安全は保障されるでしょうが、蜀漢のために蜀漢を裏切るという辛い任務です。 この苦肉の策は効きました。もともと孟達を嫌っていた申儀が、これにより、孟達謀反の確かな証言を得たからです。孟 達に対し、朝廷から召喚命令が出ますが…もちろん行くはずもなく。 しかし、その割には孟達の動きは鈍いままです。それもそのはず。彼が戦うであろう司馬懿のいる宛は遠く、また、洛陽 との使者のやり取りを考えると、準備期間は十分あると考えられたからです。 司馬懿もそのことは承知しているので、孟達の動きを鈍らせるよう策を施します。 西暦227年冬。魏・蜀漢の戦いは、水面下では、既に始まっています。
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