下
★『宮城谷三国志』総合スレッド★
244:左平(仮名)2009/10/25(日) 22:45:04 ID:5TLCoJWz0
続き。
一方、勝利した呉ですが、こたびの戦の功労者である陸遜・周魴は篤く賞されます。それはよいのですが…ここに
呉の限界があります(後世の、人気がない原因でもあるような)。
詐術を弄して勝つということは、「敵には何をしてもよい」と考えているわけです。それは、一見正しいようですが、
そこには、人を引き付けるものがありません。人々を引き付けないことには最後の勝利は得られません。
「信なくば立たず」と言います。呉は、君主たる孫権からして、その信が欠けている。それがもたらすものは…。
…ともあれ、赤壁の鮮烈な勝利が、周瑜のみならず、呉という国そのものをも束縛してしまった、という皮肉な見
方もできるわけです。
さて、(遠い東方のこととはいえ)魏が敗れたということは、蜀漢にとっては好機であるわけですから、これ幸い
とばかりに、諸葛亮は兵を進めます。
しかし、彼の進攻ルートは、既に曹真らによって予測されており、戦場は、郝昭が守る陳倉になります。この時点
で蜀漢の苦戦は決まっていました。
小さい城とはいえ、先の游楚の勇戦を考えると、条件は格段に良い(籠城の準備も整っており、何より、早い段階
での援軍が期待できる)わけですから、郝昭達の士気は高く、諸葛亮が大軍を持って攻めかかったにもかかわらず
戦果を挙げられぬままに撤退を余儀なくされます(ここでの王双の追撃が魏には蛇足になります。というのは、王
双を討ち取ることで、蜀漢は劣勢を糊塗できたわけですから)。
まだ続きます。
上前次1-新書写板AA設索