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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
256:左平(仮名)2010/02/24(水) 00:10:57 ID:???0 [sage ]
続き。
凱旋した司馬懿及び諸将には褒詞が授けられ、褒美や昇格といった栄誉が授けられました。このあたりの要領の良さが、
司馬懿が「政治的な人物」であるということでしょうか。
張郃についても、「壮候」と諡され、爵位は子に受け継がれましたし、何より、皇帝がその死を大いに嘆き、それ故に諌
められるくらいですから、それなりに栄誉は与えられてはいます。
しかし、(個人的には、ですが)どこかすっきりとしません。名将・張郃を使いこなせなかった司馬懿。曹操と比べると
スケールダウンしている感は否めません。
…こうなると(「三国志」である以上、無理な話とは思いますが、為政者の堕落した最悪の事例として)王衍の末路まで
描いていただけないものか、と思ったりします。
一方、無事に撤退した諸葛亮ですが、長雨による補給路の遮断が予想ほどではなかったことに疑念を抱き、李平を詰問し
ます。この際の李平の応答が諸葛亮を激怒させ、彼を失脚させるに至らせました。
普通、このあたりの経緯は、李平の怠慢(もしくはサボタージュ)とされていますが、真相はどうであったか。李平が諸
葛亮を敬仰していたことから、違う見方が必要では…という指摘がされています。
「無私の人」「法の人」である諸葛亮も人間。結果として、自身の過ちをなすりつけた形になることもある、と。
一方、呉に目を転じると…。孫権、欲求不満の様子。蜀漢と魏とが死闘を演じる中、漁夫の利を狙えそうなものですが、
目立った成果が挙げられません。
夷州(台湾とされています)・亶州(九州南部の島とされています)の探索も、原住民を連れ帰っただけに留まります。
そんな中、再び、遼東の公孫氏に目を付けるのですが…。
続きます。
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