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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
268:左平(仮名) 2010/05/31(月) 00:54:26 ID:???0 [sage ] 続き。 当然、司馬懿もそのあたりのことは承知しています。次は充分な兵糧を準備してから動くだろうから…三年ほど後だな、 という見立てはおおむね的中しました。ただ、この間に魏がしたことは、迎撃体制の構築でした。 蜀漢が動くのに応じて…ですから、どうしても受身の形になります。 戦いに赴く司馬懿の目に、鳥の群れが映ります。「往時、鳥は天帝の使いであったな」。この鳥達は何を意味している のでしょうか。それは、まだ分かりません。 互いに経験を積んできた諸葛亮と司馬懿は、戦い方もものの考え方もよく似ていますが、一つ異なる点があります。 「同じ将のもとで兵が成長するか」ということです。 諸葛亮の率いる兵は、街停の頃が幼児なら今は成人というほどに成長しています(例として挙げられているのが呉起や 白起。史上有数の名将の名がここで挙げられています)。一方、司馬懿にはそのような意識はありません。 ただ、そのような例があることは理解しています。 呉の兵は、周瑜が生きていた頃より弱い(策に頼りすぎているため策を破られると弱い)のではないか。蜀漢の兵は、 そのようなことはあるまい。司馬懿にとっても、こたびの戦いの持つ意味は重いのです。
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