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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
30: 2002/11/02(土) 15:32 ぐっこ 2002年06月10日月曜日 00時49分 孫寿は悪行によって名を残した「稀代の毒婦」という称号を学研から与えられてました(^_^;) まーよくも夫婦そろってこんな大悪人がそろったモノかと。 むろん曲筆はあるでしょうけど、しかしすごい夫婦… 馬融…まだ文春読んでないですが、時期的に言えば馬融先生のことかと〜。
31: 2002/11/02(土) 15:33 松竹梅 2002年06月12日水曜日 00時50分 馬融さん、でも確かあんまり評判はよろしくなかったんでしたっけ。 理由はもちろん梁冀にお近づきになったから。 馬融で検索したら、池田勇人の記事が出てきて面白かったです。 池田の派閥「宏池会」(今の加藤派と堀内派にあたる)の名称の由来が 馬融の「高光の柎(うてな)に休息して宏池に臨む」という 故事にあるそうですが、どんな故事だかさっぱりわかりません
32: 2002/11/02(土) 15:33 ぐっこ 2002年06月14日金曜日 00時42分 馬融さんは、世界史事典にも載ってるくらいの大儒ですのに…。 梁冀のシンパだとすれば、世に阿るのたぐいですかい!思ってたほどすごい人じゃないのかな… 「宏池に臨む」…う、私もさっぱりです! 今度調べてみようっと。
33: 2002/11/02(土) 15:37 左平(仮名) ◆お祖父さまたち登場 今回の宮城谷三国志◆ 跋扈将軍の跋扈ぶりは相変わらず続いてます。その贅沢ぶり・無法ぶりに数ぺ−ジが割かれるほど(無実の罪で全財産を奪われる士孫氏、ま、まさか…)。 李固・杜喬も既に亡く、漢は相変わらず危機の中にいます。よくこんな時代で「桓」帝と諡されたものです。 前出の馬融ですが、この時南郡太守との事でしたから、間違いなくあの馬融です。跋扈将軍ににらまれ、自殺未遂となっています。 さて、上記の通り、今回は、三国志の重要人物二人の祖父の名が出てきました。荀俶(荀揩フ祖父)と陳寔(陳群の祖父)です。 なお、跋扈将軍の滅亡は、次々回以降の様です。
34: 2002/11/02(土) 15:37 左平(仮名) 2002年07月11日木曜日 22時35分 蛇足を一つ。李固には三男一女があり、上の息子二人は獄死しましたが、末子の燮は何とか逃げ延びたそうです。 李固・杜喬の死を嘆く事さえも禁じられながら、それでもなお嘆いてみせる気骨のある民もいます。こういう人々の声が全く届かない跋扈将軍、ほんまに子供並みの知能ですな(といったら子供に失礼か)。
35: 2002/11/02(土) 15:37 惟新 2002年07月12日金曜日 00時40分 わぁ、荀俶・陳寔登場〜! 特に陳寔は小学生のときに「漫画で読む故事成語事典」を読んで以来、大好きなお方。そういえば高校入って陳羣の祖父だと知ったときは驚いたな… はぁ、もう少し跋扈将軍は頑張りますか… 存分に最後を飾っておくんなまし。
36: 2002/11/02(土) 15:38 ぐっこ 2002年07月12日金曜日 01時25分 とうとう出て参りましたか!じゃあ鍾さんもそろそろ… 文春またチェックしてなかったなあ…。跋扈将軍はまだ生きてますか…。なんだか前たてたプラン通りのペースですねえ。最終的に何巻まで続く三国志になるんだろう…(^_^;) 梁冀を倒す予定の宦官連中、前のメンバーよりはだいぶ質が落ちてしまうんですよねえ…。このあたり、順帝が犯した致命的ミスですが、そのおかげで曹騰の「孫」曹操が世に出るのですから、まあよしとしましょう(^_^;)
37: 2002/11/02(土) 16:04 左平(仮名) ◆ついに、あの人が!! 今回の宮城谷三国志◆ 今回も、跋扈将軍の跋扈ぶりが描かれています(村上氏のイラストが秀逸です)。それはそうと、あの愚昧な梁冀が茂才を好んで用いた(後漢では茂才より孝廉の方が評価されていた)というのは、ちょっと不思議な感じがします。 さて、「あの人」とは… 1,曹操、誕生す!! とはいっても、まだ「生まれた」という事が書かれたのみ。今回は、曹騰の没年の方に紙幅が割かれています。「水経注」の記述などから、西暦160年頃ではないか、との事です。年は、五十代の前半といったところ。「蒼天」の設定みたいな可能性は低い…。 2,檀石槐、一大帝国を築く!! もすさんの『四史奮迅』でも紹介されたあの男が登場しました。今回、李膺と熾烈な戦いを演じています。「あの男が中華の皇帝に嫌われたなら、わがもとで大人としてやろう」ってな感じの余裕のコメントも。 3,(名前だけ)荀爽も登場。 蛇足@:ようやく、ちくまの「正史 三国志」(文庫)の4巻を入手し、全巻揃いました。とはいえ、もすさんや玉川さんの域にはほど遠し、といったところ。 蛇足A:明治書院から、「新釈漢文大系」の廉価版ともいうべき「新書漢文大系」が出ていました(全15巻)ので、うち3冊購入しました。
38: 2002/11/02(土) 16:05 ぐっこ 2002年08月12日月曜日 22時19分 あ、もう春秋の発売日…(^_^;) で! とうとう曹操が誕生しましたか〜っ! ということは間もなく梁冀夫妻はその罪業にふさわしい死に様を遂げ、宦官天下が始まる、ということに…! 曹騰の死…私も昔「曹騰伝」なるもの書きかけて(^_^;)、挫折したことあるんですが、この没年は悩みましたよ〜。曹騰を弾劾して却って賞揚された仲コウの三公就任期間から割り出してみたり、イロイロ試しましたが(^_^;) それにしても!檀石槐の活躍とは頼もしい! それに荀爽まで! やっとこさ三国志の連中がチラホラ出て参りましたが…(^_^;) 涼州三明とか董卓もそろそろ出現する頃でしょうけど…。 >茂才・孝廉 うーん、実情はどうなんでしょうねえ…。確かに孝廉の方がよく聞きますよねえ…。手元に史料が無いのでアレなんですが、「州代表」「郡代表」のような単純なモノではなく、確かこの二つの任官先とかって全然別ルートだったはず…。
39: 2002/11/02(土) 16:05 もす 2002年08月13日火曜日 04時46分 ⇒左平さん ご紹介のほど、有難うございます(笑) 左平さんにも何の恩返しも出来ていないで、申し訳ないのですが…(^-^; さて、檀石槐。玉様も好きのようで(^^) ただ、なんとなく「あの男が……」は私のイメージとは違うかも。 「第二の冒頓単于」を目指していたような印象はありますが、漢人を大いに採用したとは・・・ あぁっ、、自分の檀石槐伝を改めて読んで、脱ボーン。。余りにも文体がヘタ過ぎる…書き直したい…(__;) ⇒ぐっこさん 孝廉は「孝と廉」ですね。って、そのままやんけ。 茂才は元々「秀才」でしたね。って当たり前ですがな。 と、それだけでは哀スいので、「任官先」等を調べてみました。ソースは『杜佑通典』。 【後漢光武建武十二年詔】--------------------------------------------------- 三公は 茂才を各一人,廉吏各一人挙げよ 左右将軍は 年に廉吏各二人を察せよ 光禄は 年に郎、茂才、四行各一人を挙げ,廉吏三人を察せよ 中二千石は 年に廉吏各一人を察せよ 廷尉、大司農は 二人(廉吏を察せよ?) 将兵将軍は 年に廉吏各二人を察せよ 監御史、司隸、州牧は 年に茂才各一人を挙げよ --------------------------------------------------------------------------- また、丁鴻と劉方の上言で「郡國は二十萬口につき、年に孝廉一人を挙げる」 となっていますね。凡そ、 ●茂才:三公、光禄、州刺史/牧 ●孝廉:郡太守 といった形でしょうか。(^^)
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