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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
312:左平(仮名) 2011/05/07(土) 03:48:33 ID:???0 [sage ] 続き。 こうなると、曹爽としては面白くありません。そんな中、側近から、耳寄りな情報がもたらされました。蜀漢の 大司馬・蔣琬の病が篤く、軍を動かせない、というのです。 蔣琬の器量は郭淮より上とされています。それなのに、軍を動かさないのは何故か。動きたくとも動けないから ではないか。そう判断したのです。浮華の徒とはいえ才知はあります。その判断は、おおむね当たっていました。 父・曹真の無念を晴らすという意味でも、騎兵の使える西方で戦えるという意味でも、この情報は、曹爽には魅 力的なものでした。彼は、蜀漢への出師を考えます。 今回は、曹羲は反対しました。西方は、郭淮が大過なく治めており、急ぎ軍を動かさねばならない情勢ではない こと、蜀漢は未だ乱れていないことが、その理由です。しかし、曹爽は、またしても弟の助言を無視しました。 司馬懿も、この出師には反対しました。が、夏候玄が賛成したことにより、出師が決定しました。夏候玄は、曹 爽に近いとはいえ、浮華の徒とは異なり、人格・見識とも高く評価された人物。その彼が賛成するのであれば… というわけです。 不要不急の出師です。司馬孚、司馬師といった司馬懿に近い人々はこの出師を批判しますが、決まった以上は、 彼らにも止められません。 続きます。
313:左平(仮名) 2011/05/07(土) 03:50:04 ID:???0 [sage ] 続き。 曹爽達は、蜀漢への侵攻ルートを、これまで先人達(曹操、曹真、司馬懿)が通らなかったところに設定しました。 これまで使われなかったルートゆえ、備えも薄いであろうと判断したのです。 参謀の一人である楊偉はこれに反対します。そこは険しい道が続き、大軍の運用ができないからです。が、未知の ルートを使うという魅力に抗しきれなかったか、曹爽達は、楊偉の指摘を無視しました。 蔣琬が動けないのであれば、それより劣る者しかいない蜀漢の攻略など…と、曹爽達は敵を侮っていましたが、曹 羲が危惧した通り、蜀漢は、まだ崩れてはいませんでした。人材は、まだ尽きていなかったのです。 最初に魏軍を迎撃したのは王平でした。魏の大軍が予想外のルートから来襲したことにも慌てることなく、地の利 を生かして兵を巧みに動かし、兵力に勝る魏軍を翻弄。 そして費禕。超人的な記憶力と事務処理能力を持った彼は、魏軍の置かれている状況を的確に把握し、敵に全力を 出させないよう、完全包囲を避けつつ、みごと撃退に成功します。 王平の迎撃にあって軍を進められないことに苛立つ魏の軍中にあっては、口論がたびたび起こり、曹爽はそちらに 手を焼く有様。司馬懿からの書状によって危機的状況であることを理解した夏候玄が独断で撤退する等、統率も取 れないまま、いいところなく敗れました。 しかも、徴収された牛馬が多く死んだことで、西方の羌や氐の恨みも買うことになりました。曹爽は、名声を得る どころか、司馬懿に大きく後れを取ったわけです。さて、これからどうするのか…。
314:左平(仮名) 2011/06/01(水) 01:56:14 ID:???0 [sage ] 国志(2011年05月) 今回のタイトルは「悶死」。何と言うか…序盤の、腐敗した後漢王朝の醜態をみるような、救いのない回です。 二回前に、呉の太子・孫登が亡くなったこと(それをうけ、三男の孫和が新たに立太子されたこと)が書かれて いましたが、弟達のうち、孫覇一人を王に立て、のみならず、待遇を太子と同じくしたとなると…。 臣下達の間に動揺が生じないわけがありません。当然ながら、心ある人々が、諫言を試みます。 この頃、呉においては、名臣達が相次いで亡くなりました。優れた調整者であった諸葛瑾については先に語られ ましたが、優れた行政家であった顧雍も、この時期に亡くなっています(かつて呂壱の専横に激しく憤った潘濬 は、これよりやや先に逝去)。 そして、この時期の孫権に強烈な諫言をしたのは、その孫・顧譚でした。 謹厳実直を絵に書いたような、名臣中の名臣・顧雍。その孫として早くから嘱目されてきた顧譚は、優れた計算・ 記憶力を持った、頭脳明晰な能臣でした。 孫権に信任されている。そう自負する彼は、諫言する際、「陛下ならば、きっと分かってくださる…」と、そう 思ったことでしょう。 しかし…孫権の反応は、彼には、甚だ意外なものでした。 かつての孫権であれば、衷心からの、筋道立った諫言には、必ず耳を傾けたことでしょう。しかし、この時の孫 権には、かつての柔軟性が失われていました。顧譚の諫言に激怒したのです。 続きます。
315:左平(仮名) 2011/06/01(水) 01:57:32 ID:???0 [sage ] 続き。 孫和の何がいけないのか。一方で、孫覇の何が良いのか。ここでは、そのことには触れられていません。少なく とも、能力や言動など、具体的なものがあってのことではないようで、単に孫和への(あるいは、その母・王氏 への)愛情が薄れた。それゆえの…という書かれ方です。 しかし、それでは、臣下達はどうすれば良いのでしょうか。太子に具体的な問題点がない以上は、太子を尊ばね ばならないわけですが、孫権の本心はそれとは異なるようです。しかし、孫権は、太子・孫和と魯王・孫覇の待 遇については沈黙したままです。 顧譚からすれば、何故激怒されたのか、分からなかったでしょう。この現状はおかしい、というのは、外部から みれば明らかなわけですから。しかし、孫権には、それが見えません。 孫権は、顧譚のことを、疎ましく思い始めました。 さて、孫権には、息子の他に娘も数人いました。その一人・魯班が、ここで影響力を行使します。この時点での 彼女の夫は、全j(周瑜の子・周循に先立たれた後に再嫁したもの)。 詳しい理由は不明ですが、彼女が、孫和の母・王氏を嫌っていた(その流れで孫和をも嫌っていた)ことが、事 態をさらに悪化させていきます。 公主を娶っている以上、夫の全jも反太子派ということになります。全jの子も既に成人して出仕しており、全 氏の影響力はそこそこあります。それが太子を貶める方向に動いたら… 続きます。
316:左平(仮名) 2011/06/01(水) 01:58:51 ID:???0 [sage ] 続き。 事のおこりは、前々回の、王淩との戦いでした。敗走したとはいえ、こちらは朱然ほどの惨敗ではなかったようで、 かえって魏軍を退かせたりもしています。 勇戦して魏軍を退かせたのは全jの息子達でしたが、そのきっかけを作ったのは、張休(張昭の子)や顧承(顧譚 の弟)の奮戦でした。戦後の評価では、張休や顧承の方が高く評価されたのですが…全j達は、この評価に不満を 抱きます。 彼らは、孫権が病に臥して判断力が弱っているのをみて、張休や顧承への讒言を行います。それも数度にわたって 行われましたから、孫権は、すっかりその讒言を信じ込んでしまったのです。 そしてついに、張休や顧承が、罪なくして処罰されることになりました。先の諫言が容れられなかったことに憤って いた顧譚がさらに強諌すると、孫権は、彼をも処罰。 顧譚・顧承兄弟は辺境に流罪となり、ある小人に恨みを買っていた張休は、その讒言により処刑されます。 これだけでも大問題なのですが…この、王朝をずたずたに引き裂く裂け目に、丞相の陸遜までもが墜ちたのです。 名行政官たる顧雍が亡くなった後、陸遜は丞相に任ぜられました。とはいえ、魏との戦いが続く以上、任地を離れる わけにはいきません。かつての諸葛亮の如く、皇帝のおわす都から遠く離れた地で政務を行っていたわけですが… そんな陸遜に、都の変事が聞こえてきます。何と、吾粲までもが処刑されたというのです。 続きます。
317:左平(仮名) 2011/06/01(水) 02:00:23 ID:???0 [sage ] 続き。 吾粲は、低い身分から累進して太子大傅にまでなった、呉の偉材の一人です。行政・軍事ともに優れた手腕を発揮する 一方、嵐に遭って乗船が沈み、溺れている兵士を、(巻き添えを恐れて他の船が見殺しにする中)自船の危険を顧みず 救出するなど、思いやりの心を持った名臣でした。 彼もまた、この情勢を憂い、孫権にしばしば諫言を呈していたのですが、かえって讒言に遭い、落命したのです。 このままではいけない。陸遜は、何度も上洛(して諫言すること)を請いますが、孫権は、理由を明示することなく、 それを却下します。あるいは、我が心(弟と待遇を同じくされるという屈辱に耐えかねて太子が自ら位を辞するよう 仕向けている)を忖度せよ、という暗黙の意思表示ではなかったか、と書かれていますが… 陸遜がさらに請うと、孫権はこれに激怒。ついに、陸遜は悶死するに至りました。 …以前の江夏諸郡での所業もあり、個人的には陸遜には好感は持っていませんが、国を支える重臣がこのような形で 亡くなるというのは、さすがに…。 ここまでみると、(本来はおかしい言い方ですが)太子派が一方的に弾圧されている格好ですが、この混乱は、まだ 続きます。全jや、(陸遜の死後に丞相となったがほどなく他界した)歩騭も、自身は穏やかに死ねたようですが…。 呉の不幸は、一方で魏の幸福。陸遜までもがただならぬ死を遂げたとなれば、呉国内の混乱は相当なものとみた王淩 は、馬茂という人物を埋伏として送り込み、孫権の暗殺をもくろみますが、これは失敗。 暗殺計画に怒った孫権が、朱然の意見を容れてまたしても魏との戦いが…。
318:左平(仮名) 2011/06/01(水) 02:01:43 ID:???0 [sage ] 追記。 「麒麟も老いては駑馬にも劣る」とは言いますが、今回の孫権の耄碌、老害ぶりの凄まじさには、ただただ呆れるほか ありません。 ただ、(妻や子のことがあったとはいえ)陸遜にもその将器を評価されていた全j、行政・軍事ともに有能な歩騭が、 この件で諫言をしなかったのは…と思うと、ちょっとすっきりしないものが。次回以降、この顛末がどう書かれるか。 それにしても、朱然の書かれ方が結構ひどいです。前々回は司馬懿にいいところなく惨敗。今回は、「呉にはもはや この程度の将しかいない」みたいな言われ方。 以前の卑衍の書かれ方と比較すると、一武将と司令官クラスに求められるものが違うからなのでしょうが…。
319:左平(仮名) 2011/07/04(月) 01:31:09 ID:???0 [sage ] 三国志(2011年06月) 今回のタイトルは「曹爽」。本作では、個人名のタイトルが来ると、その回あたりで亡くなるフラグ、という感がある のですが…さて。 まずは、前回の続きから。朱然が、老将とは思えない溌剌さで暴れまわります。魏の将が後方へ回り込もうとするも、 それを一蹴。鮮やかな勝利を飾って、堂々の凱旋を果たします。しばらくぶりの捷報に呉の宮中は湧き返り、孫権も はしゃぎます(もっとも、そんなにうまいこといくはずはないと思っていたが…なんて言われてますが)。 その三年後、朱然は、栄光のうちに没します(そういえば、二十世紀に入ってその墓が発掘されていますね)。 ただ、朱然の活躍は、魏の南方の民にとっては災厄そのもの。以前にも呉の侵攻を受けた人々は、それを避ける為に 北方に避難していたのですが、空白地の存在を嫌った曹爽は、これを無理に戻させました。その結果がこの有様です。 先の蜀漢侵攻の失敗で、軍事的手腕に疑問符がついている上に、内政面でも失敗したことで、曹爽は、人々の支持を 失いつつありました(その失政を揶揄する歌が歌われる、等)。 しかし、司馬懿が一歩退いたスタンスを取っているためか、成果が挙がっていないにもかかわらず、曹爽派の力は、 むしろ強化されつつありました。 そんな阿呆なことが…と言いたくもなりますが、無能な者が分不相応な権力を持つこと自体は、歴史上、例がない わけではありません。 続きます。
320:左平(仮名) 2011/07/04(月) 01:33:05 ID:???0 [sage ] 続き。 曹爽派の有力者として名が挙がっているのが、丁謐、何晏、ケ颺の三名です。曹爽に重用され、高位に就いた彼らは、 かつての梁冀の如く、好き勝手に振る舞います(諸候の飛び地を我がものとする、詔書を偽る、等)。 その頭目たる曹爽もまた、それを制止するどころか、自身もそのように振る舞います(調度品を皇帝のものと等しく する、宮女を我がものとする、等)。 わずかに、曹羲ひとりが諫言しますが、曹爽は、聞く耳を持ちません(ただし、無駄の削減と称して勝手に廃止して 解散させた将軍の兵力を曹羲に持たせるところをみると、曹氏一族の一人としてはある程度信頼しています)。 ただ、彼らも、決して一枚岩ではありません。というか、みな我が強く、互いに見下している、という感じです。 読書家の丁謐は、己以外は皆低能だと見下しています(派閥の頭目たる曹爽も例外ではありません)。ただ、政敵たる 司馬懿だけは賢いとみなしており、それ故に警戒しています。 ケ颺は、すっかり俗物と化し、公然と賄賂を要求する有様。何晏は…まあ、今回は語られていませんが、蒼天でも少し 触れられていた、あれ(五石散)がありますからね…。 曹爽は、彼らは有能である(有能過ぎる故に嫌われていた)と思って重用します。確かに、才覚自体はあるのでしょう が、これでは嫌われるわけです。 続きます。
321:左平(仮名) 2011/07/04(月) 01:34:49 ID:???0 [sage ] 続き。 さて、彼ら以外で曹爽派の有力者として、桓範の名が挙がっています。こちらは、実際に有能なのですが、とにかく 性格的に問題あり、というところ。 ちょっと嫌味を言われたくらいで妊娠中の妻に暴力を振るい、母子共に死なせるあたり、それだけでも失脚に値する くらいです(まあ、さすがにこれは悔やんだようですが)。他にも、蒋済に認められなかったことに恨み事を言う等、 むやみに敵を増やすような言動が目立ちます。 そんな中、曹爽派の一人・李勝が司馬懿のもとを訪れます。先の蜀漢侵攻では失敗した彼ですが、行政手腕はあった ようで、荊州刺史に就任します。この訪問は、その挨拶に…というわけです。 もっとも、実際には、政治的に沈黙している司馬懿の偵察なのですが。ただ、司馬懿もこのことは分かっており、一 芝居うちます。まさに「しばいのしばい(司馬懿の芝居)」。 (妻に話したら駄洒落扱いされましたが…) 司馬懿の呆けた演技は見事なもので、李勝は、かつての英姿と比べ、思わず涙するほど。司馬懿に仕える侍女達は、 というと…笑いをこらえるのに必死でした。
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