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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
325:左平(仮名) 2011/08/05(金) 00:57:21 ID:???0 [sage ] 続き。 一つ、手段がありました。永寧宮(→皇太后の郭氏)です。皇太后であれば、皇帝不在の折に、非常大権を発動する ことも可能なのです。ただし、これはあくまで非常手段。 このクーデターは、司馬懿といえども、十分な勝算があって行うものではないのです(もし、曹羲が城内に留まって いれば…その時は運が無かったと思うしかない、とも言っていますから、まともに対応されたら負けるのです)。 そして、正始十(249)年となりました。 皇帝と曹爽達は、予定通り、高平陵に詣でるべく、出発しました。この一行の中に曹羲がいたという時点で、趨勢は おおよそ定まったと言えるでしょう。 皇帝と曹爽達が出発したのを見届けると、司馬懿達は、直ちに行動を開始しました。司馬一族の持てる兵を率いて、 永寧宮に参内したのです。 半ば引退した老臣の、それも兵を率いての急な参内。たれもが不審に思うところです。しかし、司馬懿に謁見し、 その英姿をみた皇太后は、その勝利を確信し、できるだけの措置をとることを約しました。 司馬懿が武器庫をおさえようとする際、曹爽邸内で、司馬懿を狙撃するか否か、という押し問答がありましたが、結局 狙撃は行われず。第一段階における、曹爽側の反撃は不発に終わりました。 かくして、司馬懿は、兵権を掌握し洛陽城内をおさえることに成功しました。 続きます。
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