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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
332:左平(仮名)2011/10/02(日) 01:54:34 ID:???0 [sage ] AAS
続き。
さて、ここで興味深いことが。何晏が誅されたことを聞いた裴徽(管輅にとっては恩人にあたる人物)は、管輅に、何晏の
印象を問い、その答えから何晏の本質を理解するという話があるのですが、そこで挙げられているのが、恵施(恵子)なの
です。
恵施というと、「荘子」に出てくる、荘子の論敵。彼は、名家(今でいうところの論理学者の類)として知られる人物です
が、何晏もその類であった…ということでしょうか。
wikipediaソースで何ですが、何晏は玄学(老荘思想に基づく学問)の創始者とされているようです。しかし、何晏はそう
単純な人物ではなさそうです。一見、ただの俗物であった晩年も、あるいは違う見方ができるのでしょうか。
さて、司馬懿のクーデターにより、曹爽の一族は滅ぼされたわけですが、帝室に連なる家が消滅させられた、となると、帝
室に連なる他の一族にもその影響は及んできます。
曹操の父の実家とされ、準皇族ともいうべき夏侯氏もその一つです。ここでは、その夏侯氏から三人が紹介されています。
一人は、夏侯令女。曹爽の一族に嫁いだ彼女は、若くして夫に先立たれて寡婦になりましたが、再婚を拒み、曹爽の庇護を
受けていました。その曹爽家が滅んだため、頼るすべを失い、実家に引き取られると、あくまでも再婚を拒み、自らの鼻を
削ぐに至ります。
先に髪を切り、次いで耳を削いでいますから、これ以上再婚を強いると自害しかねないという凄まじさです。
夫への、そして婚家への貞節ぶりに心動かされた司馬懿は、彼女が養子をとり、曹氏の家を継がせることを許します。それ
は、自らの正当性を世に知らしめるには、有効なことでした。
しかし、権力とは無関係の夏侯令女はともかく、実権を持つ夏侯氏に対しては、そう甘くはありません。
続きます。
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