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★『宮城谷三国志』総合スレッド★
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344:左平(仮名) 2011/11/04(金) 23:01:13 ID:sAtiQhzY0 三国志(2011年10月) 今回のタイトルは「老衰」。そういえば、今回登場する主要人物は、みな高齢者…。 令狐愚が亡くなったことで、王淩達の楚王擁立計画は一からやり直しとなりました。落ち着いてみれば、計画の実行はさらに 難しくなったわけですが、王淩は、令狐愚の遺志を引き継ぐかのように、この計画にのめりこみます。 ただし、司馬懿との全面対決はできません。十分な兵力を持っているとはいえ、彼の計画は、魏の国政を正さんがためのもの なのですから、たとえ勝てたとしても、魏の国力を疲弊させるような行為をするわけにはいかないのです。 それを避けるためには、何とかして、司馬懿をおのが勢力圏内に引き込み、捕斬する必要があるわけですが…。 肚は括っているとはいえ、困難極まりないことです。さすがの王淩にも迷いがあったのか、浩詳という人物に、占わせます。 王淩の言葉に不吉なものを感じた浩詳は、やや曖昧さの残る表現で、王者が興るというようなことを話しました。 王淩は、その言葉を、おのが計画が成功することを示したものだと確信したのですが、実は、(呉における孫権のような) 至尊とまではいかないが高位の人が亡くなる、ということを示したものでした。その、高位の人とは… さて、ここで話は呉に移ります。王淩が、司馬懿を引き込むのが困難と思ったのは、呉の内部事情が、それをさせないとみた からに他なりません。孫権は年老いて、もはや、司馬懿自らが行かねばならないような大戦(孫権の親征)を仕掛けることは ないからです。呉にとっては、戦下手な孫権が出ない方が良いのではありますが、ことはそう単純ではありません。 しかし、王淩が孫権を「老いた」というのも不思議なもの。なにしろ、王淩の方が年上なのですから。 続きます。
345:左平(仮名) 2011/11/04(金) 23:03:15 ID:sAtiQhzY0 続きます。 孫権は衰えました。衰えて政務への意欲が萎えただけならまだしも、変なところで頑固になり、臣下の諫言を受け入れる度量が すっかり失われてしまったのです。その讒言によって多くの名臣達を陥れた孫魯班は、ここでも暗躍しました。老いた孫権が、 新たに潘氏(及び彼女との間にもうけた孫亮)を寵愛するようになったのを知ると、彼女達を賛美したのです。 孫亮は、実際、なかなかの資質があったようですが、潘氏は、というと…。 ともあれ、孫権は、娘の言葉に心動かされました。 太子・孫和派と魯王・孫覇派との争いが国を二分するに至り、いよいよ収拾がつかなくなったことに嫌気がさしていたこともあり、 ついに、ある決定を下します。それは、 「太子・孫和を廃し、魯王・孫覇に死を賜う。新たに孫亮を太子とする」 というものでした。 孫権としては喧嘩両成敗というところなのでしょうが、これに納得する者はいたのでしょうか。孫覇は毒を仰いで果てましたが、 何故に自分が死なねばならなかったのか、納得できたとは思えません。 また、孫和も、罪なくして太子を廃されました(後に王として僻地に遠ざけられる)。このような非道が許されてよいのか。そう、 憤る者もいたことでしょう。 魯王派の小人達は処刑され、太子派は、太子の廃替を諌めるも、これまた処刑される者が出ました。 孫権の子は、おおむね才能はあったようですが…孫登、孫慮の早世が惜しまれるところです。 続きます。
346:左平(仮名) 2011/11/04(金) 23:05:58 ID:sAtiQhzY0 続き。 敵国のこのような異常事態を、魏が見逃すはずはありません。将軍として前線に近い新野にあった王昶はこれに気付き、呉を攻める べきであると上奏し、許しを得ました。 王昶は、これまで様々な官職を歴任し、いずれにおいても成果を挙げてきたそつのない人物です。当然、呉の政情も抜かりなく調べ 上げた上での上奏ですから、司馬懿もすみやかに了承し、王昶と王基・州泰に出撃命令を下しました。 王昶と王基は、王淩ゆかりの人物です(王昶は、王淩とともに地元で名が知られた人物。王基は、王淩の元部下。中央での王基の 扱いに王淩が憤り、手元においた、というような話も)。ただし、ともに私より公を重視する人物ですから、王淩の計画を知った としたら、どうしたでしょうか。 州泰は、司馬懿が孟達を攻める際に、先導役を務めた人物。身内に不幸が相次ぎ九年も服喪しましたが、司馬懿は彼を忘れず、喪 が明けるのを待って起用しました。 まず、王昶は江陵を攻撃します。江陵は要地で城も大きく、容易に落とせる城ではありませんが、ここを攻めることで、敵の耳目を 他から逸らす(王基・州泰への間接支援になる)という意義があります。 守る施績は迎撃しますが、王昶はこれを撃破。施績が籠城すると、挑発した上で引き揚げると装い、追撃してきたところをまた撃破。 鮮やかな勝利を飾ります。 王基は、敵将・歩協が固守して動かないとみると、食糧庫を攻めこれを奪取。数千の人々が降ったといいます。州泰も結果を残した ので、王昶の計画はみごと成功したわけです。 続きます。
347:左平(仮名) 2011/11/04(金) 23:08:33 ID:sAtiQhzY0 続き。 さて、魏に攻められたとなれば、呉は当然に反撃してくるはず。王淩は、これを好機とみて、呉が川をせき止めたことを上奏して、 呉を攻めたい(あわよくば、これで司馬懿を誘い出したい)と申し出ます。 が、これに、司馬懿は不審を抱きます。 この頃、司馬懿は病が悪化しており、自邸から出るのも辛い状態になっていました。しかし、それを抜きにしても、この上奏には 不自然な点がありました(剛毅な王淩がこの程度のことで…というわけです)。 司馬懿は動かない。それを知った王淩は、やむを得ず、実力行使に出ようとします。しかし、それには、令狐愚の後任である黄華 を取り込む必要がありました。 使者が、黄華のもとに向かいます。しかし… 令狐愚が亡くなったことで、計画には(王淩からみて)赤の他人が多く関わるようになっていました。それは、計画が漏れる危険 性が高まることでもありました。 黄華は、かつて魏に背いたことのある人物でした。それ故、利をちらつかせれば味方に引き込める、と王淩はみたのですが…彼は 根っからの反逆者ではなく、このことを中央に知らせます(使者も寝返った)。 司馬懿も、王淩の計画を(噂でですが)耳にしてはいました。それ故、この知らせにも驚きはしなかったのですが、人というもの の不思議さを実感せずにはいられませんでした。 ともあれ、王淩を止めねばなりません。司馬懿は、最後のご奉公だ、と言い、自ら王淩のもとに(兵を率いて)赴きます。
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