★『宮城谷三国志』総合スレッド★
39:2002/11/02(土) 16:05

もす 2002年08月13日火曜日 04時46分

⇒左平さん
 ご紹介のほど、有難うございます(笑)
左平さんにも何の恩返しも出来ていないで、申し訳ないのですが…(^-^;

 さて、檀石槐。玉様も好きのようで(^^)
ただ、なんとなく「あの男が……」は私のイメージとは違うかも。
「第二の冒頓単于」を目指していたような印象はありますが、漢人を大いに採用したとは・・・
あぁっ、、自分の檀石槐伝を改めて読んで、脱ボーン。。余りにも文体がヘタ過ぎる…書き直したい…(__;)

⇒ぐっこさん
 孝廉は「孝と廉」ですね。って、そのままやんけ。
茂才は元々「秀才」でしたね。って当たり前ですがな。

 と、それだけでは哀スいので、「任官先」等を調べてみました。ソースは『杜佑通典』。

【後漢光武建武十二年詔】---------------------------------------------------

三公は        茂才を各一人,廉吏各一人挙げよ
左右将軍は      年に廉吏各二人を察せよ
光禄は        年に郎、茂才、四行各一人を挙げ,廉吏三人を察せよ
中二千石は      年に廉吏各一人を察せよ
廷尉、大司農は    二人(廉吏を察せよ?)
将兵将軍は      年に廉吏各二人を察せよ
監御史、司隸、州牧は 年に茂才各一人を挙げよ

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 また、丁鴻と劉方の上言で「郡國は二十萬口につき、年に孝廉一人を挙げる」
となっていますね。凡そ、
●茂才:三公、光禄、州刺史/牧
●孝廉:郡太守
といった形でしょうか。(^^)
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