★『宮城谷三国志』総合スレッド★
391:左平(仮名)@投稿 ★2012/08/06(月) 02:06:01 ID:???0 [sage ] AAS
三国志(2012年07月)


今回のタイトルは「傅嘏」。毌丘倹の決起の結末はいかに。

前回の時点では、文欽達から最も近いところにいた敵は、南頓にいる王基でした。しかし、戦うよう命ぜられた相手はケ艾。
毌丘倹からすれば、王基ほどには実績がなく容易な敵だと思ったからですが、文鴦は少し違った視点を持っていました。

文俶(鴦は幼名)。未だ幼名が抜けきらない若年ながら、ケ艾が、まだ前線に着いて間もない(→戦う支度が不十分である)
ことを看破し、直ちに攻撃すべきであると説きます。
文欽もこれに同意し、二人は直ちに支度を始めます。父であり、将としての格が高い文欽の方が多くの兵を率いるとはいえ、
文俶の支度は父よりも速やかで、かつ抜かりのないものでした。
二手に分かれて兵を進めたのですが、文俶は、(父の軍勢とケ艾を挟撃するべく)大きく北に回り込もうとします。そして、
これが(両軍にとって)思いもかけない事態を招くことになります。

この時、ケ艾が率いていたであろう軍勢は、一万程度といったところ。文俶が率いていたのは二、三千程度でした(文欽が
率いていた軍勢はこれより多いので、夜襲であれば十分挟撃が可能)。
しかし、文俶のもとにとんでもない報告がもたらされます。数万の大軍が近くにいるというのです。この確認に手間取った
ため、夜襲というのはいささか微妙な時間となりましたが、夜が明けては元も子もありません。文俶は、攻撃を開始します。

この大軍の正体は大将軍・司馬師の本隊でした。王基が突出した形になっていたため、包囲網の形を整えるべく、前進して
いたのです。
そんなところに、文俶は攻撃を仕掛けたのです。通常であれば、無謀そのものの行為ですが…

続きます。
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