★『宮城谷三国志』総合スレッド★
404:左平(仮名)@投稿 ★2012/11/08(木) 05:31:15 ID:???0 [sage ]
続き。

それにしても、諸葛誕といえば、魏の征東大将軍。相当な高位にあります。それが、何ゆえ叛旗を翻したのでしょうか。

…諸葛誕は、司馬氏を恐れていました。彼自身に咎が及んだことはないのですが、先に司馬氏によって消された曹爽達とは
親しく付き合っていたため、いつか自分にも…と危惧していたのです。
司馬氏は、司馬懿→司馬師→司馬昭と代替わりし、寛容さも見せていたとはいえ、先の、曹爽達を葬り去ったやり方を見る
と、疑心暗鬼になるのも無理はありません。
そのため、南方を任され、寿春に赴いた彼がまずしたことは、毌丘倹の轍を踏まぬよう、現地の民の心を得ることでした。
これによって、彼のためには死をも厭わぬ者達を得たわけですが、さらに…と大軍を要請したことで感付かれました。

中央への召還命令。一応、三公への昇進という飴はありましたが、群臣達の序列からして、異常な話ではあります。これに
司馬氏の好意を感じていれば、あるいは違った展開があったのでしょうが…諸葛誕には、これが、自分を抹殺するための罠
にしか感じられませんでした。
謀られた、という怒りの中、楽綝を殺し、その軍勢を合わせた諸葛誕は、寿春に籠城します。単独では勝てないことは十分
承知していた故、呉との連携も十分考慮していました。

続きます。
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